なぜ「弱い自分」を隠してしまうのか?- “偽りの自分”と依存への道 -(前編)

「弱い自分」を、どうしても許せなかった。

完璧でなければならない。理想の自分でいなければ、人から認められない。その強迫観念にも似た思いが、気づかぬうちに、もう一人の自分を作り上げていく。
もしあなたが、人前で平気なふりをしながらも、心の中では言いようのない息苦しさや孤独を感じているのなら。この記事は、あなたのためのものかもしれません。

これは、僕が「偽りの自分」という名の重い鎧をまとい、その鎧の重さに耐えきれず、依存という暗い道へ足を踏み入れることになった心のメカニズム。その自己破壊のスパイラルについての告白です。

「偽りの自分」が生まれるとき

振り返れば、私はいつも臆病で、自分の本心を他人に話すのが苦手でした。それは単なるコミュニケーションスキルの問題だと思っていたのです。
しかし、本当の原因は、私の中にあった極端な「完璧主義」でした。「こうでなければならない」という強固な理想像があり、そこから少しでも踏み外した自分を、自分自身で許すことができない。不完全な自分、弱い自分を、何よりも恥ずかしいと感じていました。

その結果、心の中には、他人に触れてほしくない「地雷」のような部分がたくさん埋まっていきました。失敗した過去、隠しているコンプレックス、不安や嫉妬といった感情。その地雷を避けるあまり、何を話せばいいのか分からなくなり、誰とも深い関係を築けなくなっていったのです。

「こういうことで困ってる」「実は悩んでるんだ」

そんな、当たり前の一言が言えない。苦しみを一人で抱え込み、平気なふりを続ける。友達と笑い合っていても、それは「偽りの自分」が作り出した、うわべだけの関係。心の奥底で求めている「心の交流」など、そこには全く存在しませんでした。

ただ、楽しくない。ただ、孤独が深まっていく。それが、私が演じ続けた「偽りの自分」の正体でした。

救いであり、新たな地獄だった「3つ目の自分」

「偽りの自分」を演じ続ける生活は、非常に息苦しいものでした。他人の目ばかりを気にして、嫌なことでも自分を押し殺して生きる。それはまるで、自分の中に生まれた独裁政権が、「弱い本当の自分」という民衆を力で抑えつけ、過酷な圧政を敷いているような状態でした。

「本当の自分」は、その圧政の下でボコボコにされ、虐待され、声を出すことさえ忘れていく。そして、独裁者である「偽りの自分」自身もまた、いつ反乱が起きるか、いつ弱さがバレるかと、常に恐怖に怯えているのです。

この激しい分裂と矛盾。その地獄のような緊張を一時的に麻痺させてくれたのが、お酒でした。
酔っている間は、理性の抑えが緩み、外面を気にする独裁者が眠りにつく。すると、抑圧されていた「弱い自分」が相対的に力を増し、ほんの少しだけ顔を出すことができるのです。

私にとって、お酒は「弱い自分」を表現するための唯一の手段となっていきました。息苦しさを感じるたびにお酒を求める。それは、虐げられた民衆に一時的なガス抜きをさせて、政権を維持するための政策そのものでした。
しかし、それはあまりにも危険な救いでした。アルコールの力を借りなければ本音を吐き出せないという経験は、「素面の自分には価値がない」「弱い自分は醜い」という自己嫌悪をさらに増幅させます。

救いを求めれば求めるほど、本当の自分はさらに傷つき、弱っていく。依存という、新たな地獄の扉が開いた瞬間でした。

袋小路の先にあるもの

「弱い自分」を隠すために、「偽りの自分」を作り出す。しかし、その仮面はあまりに息苦しく、維持するためにはお酒という「3つ目の自分」の力が必要になる。そして、その力は結局、「弱い自分」をさらに弱らせていく…。
これが、私が陥った、出口のない袋小路の全体像です。

では、この自己破壊のスパイラルから、抜け出す道は本当にあるのでしょうか。
その答えは、僕が想像もしなかった場所にありました。
後編へ続く)

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