依存症者は「境界線」をうまく引けない

回復のヒント

私たちは皆、自分という存在と、自分を取り巻く「世界」との間に、目には見えない一本の線を引いて生きています。

自分がどこまでで、どこからが世界なのか。

この感覚は、私たちが自立した個人として日々を過ごす上で、ごく当たり前のものです。

世界が「敵」に見えるとき

しかし、時としてその「世界」が、あまりにも厳しく、つらいものに感じられることがあります。

まるで自分に対して攻撃的であるかのように、次から次へと困難を突きつけてくる。

そう感じ始めると、自分と世界を隔てるその線は、守るべき境界というよりも、むしろ自分を孤立させ、苦しめる壁のように思えてくるかもしれません。

「世界を認識したくない」

そう願う気持ちが生まれるのは、自然な心の動きと言えるでしょう。

アルコールがもたらす、束の間の「一体感」

このような心境のとき、アルコールは不思議な作用をもたらすことがあります。

グラスを傾け、アルコールが身体に巡り始めると、あれほど明確だった自分と世界との境界線が、ゆっくりと曖昧になっていく感覚を覚える人がいます。

自分は自分である、という強い意識が和らぎ、世界の様々な物事との隔たりが、少しずつ溶けていくような感覚です。

このとき、心の中では何が起きているのでしょうか。

それは、一時的に「自分」という存在を客観視することから解放される状態、と言えるかもしれません。

常に自分を監視し、評価し、時には責め立てるもう一人の自分。

その声が小さくなることで、私たちはつらい現実から少しだけ距離を置くことができます。

強烈な自意識から解放されたとき、そこにはただ、目の前にある世界だけが存在する。

ある意味で、世界と自分が一体になったかのような、束の間の安らぎを得ることができるのです。

この感覚は、つらい現実と向き合う人にとって、抗いがたい魅力を持つかもしれません。

自分と世界との間に立ち、両者の関係を取り持ってくれる「仲介役」のようにさえ感じられることでしょう。

酔いが覚めた後、再び現れる「境界線」

しかし、この平穏は長くは続きません。

アルコールが身体から抜けていくにつれて、溶けていたはずの境界線は、再びくっきりと姿を現します。

そして、以前よりもさらに冷たく、強固なものとして感じられることさえあります。

一時的に忘れていた世界の厳しさが、現実として改めて目の前に突きつけられるのです。

酔いが覚めた後の世界は、以前と何も変わっていません。

むしろ、一時的に逃避していたという事実が、より一層、現実の重みを浮き彫りにします。

あれほど攻撃的に感じられた世界は、やはりそのままの姿でそこにあり、自分は再び、その世界と対峙しなくてはならない。

アルコールがもたらしてくれた一体感は幻であり、結局のところ、自分は自分、世界は世界なのだという事実を、改めて認識させられることになります。

現実逃避の先に

このように、アルコールを介して現実から距離を置こうとすることは、根本的な解決には繋がりません。

むしろ、飲酒と覚醒を繰り返す中で、現実との断絶感が深まり、心の消耗を招いてしまう可能性も考えられます。

もし、あなたやあなたの周りの誰かが、世界との間に引かれた境界線に苦しみ、そこから逃れるためにアルコールに頼っているとしたら。

それは、その人が弱いからではありません。

ただ、それだけ懸命に、つらく厳しい現実と向き合っている証拠なのかもしれないのです。

その心の働きを、まずは静かに理解しようとすることが、大切な一歩になると、私は思います。

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