私は、人と話すために酒を飲んでいました。
ところが、酒を飲むほど、私は人から離れていきました。飲んでいた頃の私には、この矛盾が分かりませんでした。
私はもともと、人と話すことや、自分の言葉で自分を伝えることが苦手でした。
誰かと関わりたくなかったわけではありません。本当は人と話したかったし、自分のことを分かってほしい気持ちもありました。
しかし、人の中に入ると怖くなりました。何を話せばよいのか分からず、自分の内面を知られることにも抵抗がありました。
私の場合、「お酒がないと話せない」という状態は、単に会話が不得意だったというだけではありません。
素面の自分を人前に出すことが怖く、その怖さを鈍らせるために酒を必要としていたのだと思います。
- なぜ素面では人と話せなかったのか
- 酒が会話の中で果たしていた役割
- 人と話すための酒が、孤立を深めていった経緯
- 酒をやめた後、人とどう関わり直したか
本当は人と関わりたいのに、人が怖かった
私は一人でいることが好きだと思っていました。
一人なら、話す内容を考える必要もありません。自分の弱さや恥ずかしい部分を知られることもなく、拒絶されたり、攻撃されたりする心配もありませんでした。
その気楽さを、私は「一人で生きる方が自分に合っている」と解釈していました。
しかし、一人でいることが本当に平気だったわけではありません。
誰にも分かってもらえない寂しさがありました。人と話したい気持ちが高まることもありました。
人に近づきたい。しかし、近づけば傷つくかもしれない。その両方の間で、私は動けなくなっていました。
酒が入ると、会話が身近になった
酒を飲むと、普段の自分を監視している感覚が少し遠のきました。
外に向けて作っていた自分が、一時的に休むような感覚がありました。
何を話せばよいのか、どう見られるのか、間違ったことを言っていないか。そうしたことを考え続けずに済みました。
そのため私は、酒を飲んだ時だけ、人と自然に話せているように感じました。
コミュニケーションがうまく取れないことで生じていた苦しさを、酒が補ってくれていると思っていたのです。
私にとって酒は、人と話すための補助具のようなものでした。
酒があれば人の中に入れる。酒があれば言葉が出る。酒があれば、普通の人のように振る舞える。
そうした経験を重ねるほど、「自分には酒が必要だ」という考えは強くなっていきました。
酒を飲んで話しても、本当の自分は隠れたままだった
酒によって話せるようになったと感じていても、私は自分の内面をそのまま人に見せていたわけではありませんでした。
酒を使い、恐怖や緊張を麻痺させなければ、人の中にいられなかったからです。
私が人に見せていたのは、酒によって何とか動けるようになった自分でした。
人と話すことはできても、「素面の自分では人と関われない」という感覚は残りました。
そのため、会話ができた後にも安心は続きませんでした。
むしろ、酒がなければ何もできない自分を確認したように感じ、酒への依存がさらに深まっていきました。
人と話すための酒が、一人で閉じこもるための酒になった
やがて私は、人と話すためだけに酒を飲むのではなくなりました。
一人で酒を飲むことが好きになりました。
一人でいれば、誰からも攻撃されません。何かを説明する必要もなく、自分の内面を見せる必要もありませんでした。
不安や寂しさがあっても、自分を酔わせて麻痺させれば、その問題を一時的になかったことにできました。
私は一人でいることを選んでいるつもりでした。しかし実際には、酒があるからこそ、その孤独を維持できていたのだと思います。
その状態が進むと、酒がなければ外を出歩くことさえ難しくなりました。
最初は人と関わるために使っていた酒が、最後には人との関わりを避け、閉じこもるための道具になっていました。
酒で会話を補っていたつもりが、いつの間にか、酒によって孤立を維持していました。
酒をやめても、急に話せるようにはならなかった
酒をやめれば、以前より自然に人と話せるようになると思っていたわけではありません。
実際、断酒を始めても、人への怖さや、自分のことを話せない感覚は残っていました。
自助会につながった時も、最初は怖く、自分だけが浮いているように感じました。
周囲の人が自分より上手に話しているように見えました。自分もどうせ話すなら、うまく話したいと思いました。
しかし、何を話せばよいのか分かりませんでした。
酒をやめたからといって、それまで酒に任せていた会話や自己表現が、すぐ自分の力になるわけではなかったのです。
人の話を聞くところから、会話を覚え直した
自助会では、最初から自分のことを十分に話せたわけではありません。
まず私は、他の人の体験を聞いていました。
そこでは、普通なら人には話せないような失敗や、酒によって起きた問題が語られていました。
話している人たちは、言葉がきれいにまとまっているわけでも、立派な結論を出しているわけでもありませんでした。
それでも話を途中で否定されず、その場所から追い出されることもありませんでした。
人の体験を聞くうちに、自分と重なる部分が見つかりました。
「自分だけがおかしいわけではないのかもしれない」
そう感じるようになると、私も同じように、自分のことを少しずつ話してみるようになりました。
うまく話せない時もありました。それでもよい場所でした。
酒がなくても、自分の話をしてよい。話がまとまらなくても、人の中にいてよい。
その経験を重ねることで、私の中にあった人への恐怖が、少しずつ変わっていきました。
「話せない自分」を酒で消さなくてよくなった
私は今でも、いつでも上手に話せるわけではありません。
人の中で緊張することもあります。何を話せばよいのか分からなくなることもあります。
しかし、その状態を酒で消す必要はなくなりました。
現在の私は、酒が会話する能力を与えてくれていたとは考えていません。
酒は、自分の恐怖や自己監視を一時的に感じにくくし、自分を隠したまま人と関わる方法を与えていたのだと思います。
酒がなければ、人と話すことも、人の中にいることもできないと思っていました。
うまく話せないままでも、人の話を聞き、自分のことを少しずつ伝えながら、人と関わることはできると考えています。
私にとっての回復は、話し上手になることではありませんでした。
不完全な自分を酒で別の人間に変えず、そのまま人の中に置いてみることでした。
ここに書いたことは、私自身の飲酒と回復の経験から考えたものです。お酒がないと話せないと感じる理由や背景は人によって異なり、すべてのアルコール依存症者に同じ心理や経過が当てはまるわけではありません。

アルコール依存症当事者です。
2020年7月から断酒しています。
ASK公認依存症予防教育アドバイザー8期生


