「希望」という言葉は、常に私たちを勇気づけてくれる、ポジティブな響きを持っています。
しかし、映画『スター・ウォーズ』の副題が「新たなる希望」であったように、希望とは多くの場合、深い「絶望」の闇の中から生まれてくる一条の光です。つまり、希望と絶望は、光と影のように、常に対となって存在しているのかもしれません。
そして、依存症の渦中にある心もまた、この「希望」と「絶望」という強力な二元論に支配された、特殊な世界に囚われている状態と考えることができます。
今回は、その閉じた世界から抜け出すための、少し変わった視点についてお話ししたいと思います。
依存症という「箱庭」の世界
依存症の渦中にある人の心は、まるで精巧に作られた「箱庭」の中にいるようなものだと表現できます。
その箱庭には、独自の絶対的なルールと、決められた役割が存在します。そして、その中で生きている本人は、それが世界のすべてであり、それ以外の世界の存在に気づくことができません。
では、その箱庭のルールとは何でしょうか。
依存症の世界では、「飲むこと」が唯一の希望であり、「飲まないこと」は耐え難い絶望として設定されています。この二元論こそが、私たちを縛り付ける箱庭のルールなのです。
このルールの中では、私たちの選択肢は極めて限られています。
絶望(断酒の苦しみ)を避けるためには、希望(飲酒による一時的な解放)を求めるしかない。このシーソーゲームを、私たちは無自覚に、延々と繰り返してしまいます。自分の意思で選択しているようで、実は箱庭という名の舞台の上で、決められた役割を演じているに過ぎないのです。
箱庭から脱出する「次元上昇」
では、この巧妙な箱庭から脱出するには、どうすればいいのでしょうか。
それは、箱庭の中で、より強く希望を求めたり、絶望と戦ったりすることではありません。なぜなら、その行動自体が、箱庭のルールを強化してしまうからです。
唯一の脱出方法は、その世界の住人から見れば、全く理解不能な行動をとること。
つまり、「従来のベクトルとは逆の動き」をすることです。
具体的には、唯一の「希望」であったはずのアルコールを自ら手放し、最大の「絶望」であったはずの断酒の苦しみを、あえて受け入れてみること。これは、希望を捨て、絶望を選ぶという、箱庭のルールを根底から覆す、いわば革命的な行為です。
この「逆の動き」を実践した瞬間、人の視点には「次元上昇」が起こります。
初めて、自分がいた世界を外から客観的に眺めることができる。「ああ、自分はこんなにも小さな箱庭の中で、同じゲームを繰り返してだけだったのか」と。その気づきこそが、脱出の第一歩なのです。
ゲームから降りた先にある景色
「捨てる」という行為の究極の形は、目の前の何かを捨てることではありません。
その選択肢を生み出している、世界観そのものを手放すことなのです。
本当の解放とは、希望と絶望のシーソーゲームを続けることではありません。それは、そのゲームが行われている場所そのものから、静かに立ち去ることなのです。
ゲームから降りた先には、希望も絶望もありません。
ただ、穏やかで平坦な、ありのままの現実が広がっています。激しい浮き沈みがないことを「退屈」だと感じる人もいるかもしれません。しかし、依存という名の箱庭の中で翻弄され、疲弊しきった心にとっては、その何でもない日常こそが、何物にも代えがたい「豊かさ」なのだと感じられるはずです。

アルコール依存症当事者です。
2020年7月から断酒しています。
ASK公認依存症予防教育アドバイザー8期生