「大丈夫」と答えた瞬間、私はそれ以上、自分のことを話さなくて済みました。
相手を安心させるための言葉でもありましたが、私の場合は、自分の内側へ人を入れないための言葉でもありました。
「最近どう?」
「何か困っていることはない?」
そう聞かれると、私は反射的に「大丈夫」と答えていました。
本当に問題がないかを考えてから答えていたわけではありません。
自分の状態を詳しく説明することを避けるために、「大丈夫」という言葉で会話を終わらせていました。
最近、少し疲れているように見えるけど、大丈夫?
大丈夫。何も問題ないよ。
本当は何から話せばよいのか分からない。知られるのが怖い。これ以上聞かないでほしい。
言葉の上では大丈夫でも、内側では不安、孤独、劣等感、将来への恐怖が動いていました。
私は、それらを言葉にする代わりに、何も問題のない人間として振る舞っていました。
「大丈夫」は、会話を終わらせるのに便利だった
自分の内面を人へ話すためには、まず自分が何を感じているかを知る必要があります。
しかし当時の私は、自分の感情を細かく確かめる習慣がありませんでした。
つらいのか、怒っているのか、寂しいのか、疲れているのか。
それを考える前に「大丈夫」と答えました。
相手が安心して会話を終えてくれれば、私は自分でも内側を見ずに済みます。
「大丈夫」という一言は、相手だけでなく、私自身の問いかけも止めていました。
人に本当の状態を知られないことと、自分が本当の状態を知らないことは、少しずつ同じになっていきました。
最初は、本当のことを隠している自覚があったと思います。
しかし何度も「大丈夫」と答えるうちに、自分でも大丈夫だと思うようになりました。
あるいは、大丈夫だと思わなければ生活を続けられなかったのかもしれません。
私の中には、三つの状態が同時にあった
飲んでいた頃の私を振り返ると、外から見える姿と内面、そして酒が果たしていた役割は、かなり違っていました。
穏やかで、問題を起こさず、自分のことは自分で処理できる人。
不安や劣等感を抱え、何をすればよいか分からず、助けを必要としている人。
内面を麻痺させ、外側の自分を何とか維持すること。
外では、問題のない自分でいようとしました。
しかし、内側の自分は次第に苦しくなりました。
本当は不安でも、不安だと言えません。
本当は助けが必要でも、助けてほしいと言えません。
外側と内側の差が大きくなるほど、その間を埋めるために酒が必要になりました。
酒を飲めば、内面の声が一時的に小さくなります。
何も問題のない人間として、もう少し生活を続けられる気がしました。
本当は大丈夫ではないと、薄々分かっていた
私は、自分に問題があることへまったく気づいていなかったわけではありません。
飲酒量が増えていることも、酒がなければ生活しにくくなっていることも、周囲に隠すことが増えていることも分かっていました。
それでも私は、「まだ大丈夫」と考えました。
仕事へ行けているから大丈夫。
家があるから大丈夫。
道端で寝ているわけではないから大丈夫。
自分よりひどく飲んでいる人がいるから大丈夫。
大丈夫かどうかを、自分の苦しさではなく、自分より悪く見える誰かとの比較によって決めていました。
「つらくないか」ではなく、「まだ完全には壊れていないか」を確認していました。
本当に健康な状態を基準にしていたのではありません。
まだ最悪ではないことを、大丈夫である証拠にしていました。
酒を守るために、自分を悪者にした
酒によって問題が起きても、私は酒そのものを問題にしたくありませんでした。
酒が問題だと認めれば、「それなら酒をやめるべきだ」という話になるからです。
当時の私にとって、酒はなくてはならないものでした。
そこで私は、酒ではなく、自分を問題にしました。
酒が悪いのではない。
飲み方を管理できない自分が悪い。
自分がもっとしっかりすれば、酒は残したまま問題だけをなくせる。
この考え方は、反省しているようにも見えます。
しかし実際には、酒を生活から外さずに済ませるための説明にもなっていました。
この流れの中では、自分を責めることが、酒を守るために役立ちます。
自分が悪いのなら、自分を改善すればよいからです。
酒との関係そのものを見直さずに済みます。
私の自己否定は、酒をやめる方向だけでなく、酒を手元に残す方向にも働いていました。
「大丈夫」と言うほど、大丈夫な自分を演じる必要が生まれた
一度「大丈夫」と言ってしまうと、その後も大丈夫な人間として振る舞う必要が生まれます。
前回は大丈夫と言ったのに、急に苦しいとは言いにくくなります。
本当は以前から問題があったと知られれば、なぜ隠していたのかを説明しなければなりません。
その説明を避けるため、私はさらに大丈夫なふりを続けました。
飲酒量をごまかし、起きた問題を小さく見せ、自分にも周囲にも「まだ何とかなる」と伝えました。
嘘をつくことが目的だったのではありません。
大丈夫だと話してきた自分を、途中で崩せなくなっていたのだと思います。
外から見える自分を守ることに力を使うほど、内面の問題へ使える力は減りました。
そして、内面を感じなくするために、さらに酒を必要としました。
人の話を聞くうちに、自分だけが隠していることに気づいた
自助会へ通い始めても、私はすぐに「大丈夫ではない」と話せたわけではありません。
最初は周囲の人の話を聞いていました。
そこでは、酒によって起きた問題や、人に知られたくない失敗が話されていました。
私なら隠し通そうとする内容を、人が自分の言葉で話していました。
それでも、その人は責められず、その場から追い出されませんでした。
私はその光景を何度も見ました。
弱さや失敗を話すことは、自分の価値をすべて失うことではないのかもしれない。
大丈夫ではないと話しても、人との関係が終わるとは限らない。
そう考えられるまでには時間がかかりました。
私は何度も安全だと言われ、周囲の人が話している姿を見て、少しずつその場所へ自分の重さを預けました。
最初に変わったのは、上手に話せるようになったことではなく、大丈夫ではない自分を少し見せても、その場にいてよいと思えたことでした。
初めて話した時、自分の感情を自分の声で知った
自分のことを話し始めると、準備していなかった言葉が出ることがありました。
自分は怒っていたのだと、話しながら気づきました。
本当は寂しかったのだと、自分の声を聞いて分かりました。
何がつらいのか分からなかったのではなく、つらいと認めることを避けていた部分もありました。
それまで私は、感情を酒によって鈍らせたり、まとめて爆発させたりしていました。
言葉にすることで、感情を一度に処理する必要がなくなりました。
少しずつ外へ出し、自分でも確かめられるようになりました。
今は「大丈夫」の代わりに、途中の言葉を使う
私は現在も、「大丈夫」と答えることがあります。
いつでも自分の状態を正確に説明できるわけではありません。
話したくない時もありますし、自分の中でまだ整理できていない時もあります。
そのような時に、無理にすべてを話す必要はないと思っています。
ただ、「大丈夫」と言い切る以外にも、言葉はあります。
これらは、問題をすべて説明する言葉ではありません。
しかし、会話を完全に閉じずに済みます。
自分の状態を大丈夫か、大丈夫ではないかの二つに分けず、途中の状態として伝えられます。
私にとって重要だったのは、何でも正直に話す人になることではありませんでした。
本当は困っているのに、何も問題がないと確定させないことでした。
「大丈夫」に戻ってしまう自分も観察していく
自分を隠す癖が、完全になくなったわけではありません。
責められそうな時、期待に応えられなかった時、自分の弱さを知られそうな時には、今でも「大丈夫」と言って会話を閉じたくなることがあります。
以前と違うのは、その言葉が出た後で、自分は何を守ろうとしたのかを考えられることです。
相手に迷惑をかけたくなかったのか。
できない自分を知られたくなかったのか。
本当の状態を自分でも見たくなかったのか。
すぐに答えが出ない時もあります。
それでも、「大丈夫と言ったから大丈夫なのだ」と話を終わらせずに済みます。
今日の「大丈夫」は、本当に問題がないという意味だったのか。それとも、これ以上知られたくないという意味だったのか。
私にとって回復とは、いつでも正しい言葉を使える状態になることではありません。
自分を隠す言葉を使った時にも、その奥にいる自分を置き去りにしないことです。
ここに書いたことは、私自身の飲酒と回復の経験から考えたものです。「大丈夫」と答える理由は人によって異なり、必ずしも依存や深刻な問題を意味するわけではありません。ただ、本当は困っているのに言葉にできない状態が続いている場合は、安心して話せる相手や医療機関、公的相談窓口などへつながることも大切です。

アルコール依存症当事者です。
2020年7月から断酒しています。
ASK公認依存症予防教育アドバイザー8期生


