酒がくれた自由と、酒からの自由|シラフで自分の言葉を取り戻すまで

私の体験談

酒を飲んだ時、私はまるで初めて日本語を話せたように感じました。

人と話せる。自分の感情が少し分かる。 それまで不自由だった私にとって、酒は自由への入口でした。 けれども、その自由を求めるほど、 私は酒に人生の主導権を渡していきました。

この記事で振り返ること
  • なぜ酒が「人生の友」と呼べるほど必要になったのか
  • 自由を得たはずの私が、酒に支配されるまで
  • 酒を失うことが、なぜ解放ではなく絶望に感じられたのか
  • 人の中で、自分の言葉と別の自由を見つけた経験

私は昔から、自由ではありませんでした

酒を覚える前の私は、 自分の気持ちをうまく表現できませんでした。

人と何を話せばよいのか分からない。 何かを感じていても、それが悲しさなのか、 怒りなのか、寂しさなのかもよく分からない。

周囲の人が自然に話し、笑い、 自分の気持ちを伝えているのを見ても、 私には別の言語で会話しているように感じられました。

言葉を知っているはずなのに、言葉が出てこない。 人と関わりたいはずなのに、関わろうとすると身体が固くなる。

私は自分を、不完全な人間だと思っていました。

周囲の人には最初から備わっている何かが、 自分には欠けているように感じていたのです。

酒を飲んだ時、初めて言葉を持った

酒を飲んだ時、その不自由さが急に薄くなりました。

人の目が気にならなくなり、 それまで言えなかったことが口から出てきました。

自分の中に感情があることも、 酒を飲むことで初めて分かるような気がしました。

酒を飲んだ時、私はまるで初めて日本語を話せたように感じました。

私にとって酒は、単なる楽しみではありませんでした。

人と話すための言葉であり、 感情を感じるための感覚であり、 自分を閉じ込めていた壁から外へ出るための扉でした。

酒を飲めば、普通の人になれたように感じました。

それまで持てなかった自由を、 酒だけが私に与えてくれたのです。

酒が人生の友になったのは、 私が快楽を求めていたからだけではありません。 酒がなければ、自分として生きられないと思ったからでした。

自由を満喫するほど、酒に主導権を渡していった

最初のうちは、私が酒を使っていると思っていました。

人と話したい時に飲む。 気持ちを楽にしたい時に飲む。 考えるのをやめたい時に飲む。

必要な時だけ呼び出せる、 頼りになる伴走者のような存在でした。

しかし、酒を使って自由になる経験を重ねるほど、 酒がなければできないことが増えていきました。

酒を飲めば話せるという経験は、 シラフでは話せないという確信にもなりました。

酒を飲めば楽になれるという経験は、 酒がなければ苦しみに耐えられないという確信にもなりました。

私が酒を必要としていたはずなのに、 いつの間にか酒の都合に合わせて 一日を組み立てるようになっていました。

人生の伴走者だと思っていた酒は、 いつの間にか私を奴隷のように扱う、 意地の悪い主人になっていました。

飲む時間を確保するために、人から離れる。 酒を守るために、問題を隠す。 飲み続けるために、自分へ都合のよい説明をする。

自由を求めて飲んでいたはずなのに、 選べる行動は少しずつ減っていました。

二年間、誰にも知られないように飲んでいた

最後の頃の私は、一人でこもって飲んでいました。

問題があることには、薄々気づいていました。

けれども、その問題がどれほど大きいのかは 見ないことにしていました。

知ってしまえば、 酒をやめなければならなくなると思ったからです。

私の飲み方を知っているのは、自分だけでした。

それは、誰にも知られてはいけない罪のように感じられました。

誰かに話しても理解されるはずがない。 自分ほど惨めな人間は世界にいない。

私は本気でそう思っていました。

人を信じられなかったというより、 自分の内側を見せた瞬間に、 すべてを否定されるのが怖かったのだと思います。

だから誰にも話さず、 誰にも見つからないところで飲みました。

しかし、誰にも見つからないためには、 さらに一人でいなければなりませんでした。

孤独を和らげるために飲み、 飲むために孤独になる。

私はその繰り返しの中で、 後戻りできないところまで来ていました。

酒だけを悪者にすることはできなかった

問題が起きても、 私は酒が悪いとは考えませんでした。

酒のせいだと認めれば、 「それなら酒をやめなければならない」 という話になるからです。

当時の私にとって、 酒を失うことの方が恐ろしかったのです。

酒は悪くない。 うまく飲めない自分が悪い。

そう考えれば、自分を責める代わりに 酒を手元へ残すことができました。

私は自分を責めることで、 生きるために必要だと思っていた酒を守っていました。

今も、酒だけを悪者にしたいとは思いません。

酒が、私の中にある孤独や自己否定、 人への恐れを作ったわけではありません。

ただ、それらを一時的に見えなくし、 後には、さらに大きな形で表へ出しました。

酒によって、自分でも知らなかった歪みや弱点が 浮き彫りになったのだと思います。

酒を失うことは、自由を失うことでした

先に倒れたのは、私の身体でした。

もう、以前と同じようには飲めない。

その時に感じたのは、 解放の喜びではありませんでした。

酒を飲まなくて済むのではなく、 酒を飲む自由を奪われたと感じました。

酒を失えば、 酒を知る前の不自由な自分へ戻ってしまう。

人と話せず、 自分の感情も分からず、 何も持っていなかった惨めな自分へ戻る。

私にとっては、耐え難いことでした。

当時の私が考えたこと

酒を失えば、自由も、人と関わる力も、 自分らしさも失ってしまう。

後から分かったこと

酒が自由を作っていたのではなく、 私の中にある言葉を一時的に外へ出していただけだった。

その場所が自由をくれるとは、すぐには分からなかった

私は、同じ酒の問題を経験した人たちが集まる場所へ つながりました。

けれども、最初からその場所に希望を感じたわけではありません。

何をする場所なのか。 なぜ人前で自分のことを話すのか。 話したところで、何が変わるのか。

私にはよく分かりませんでした。

人のことも信用していませんでした。

誰も自分を理解できるはずがないという考えも、 すぐには消えませんでした。

それでも、その場所では、 普通なら隠しておきたいような失敗や弱さが語られていました。

話した人は、責められませんでした。

立派な結論を話さなくても、 うまく説明できなくても、 その場から追い出されませんでした。

私は人の話を聞きながら、 少しずつ、ここでは別の振る舞い方をしてもよいのかもしれないと 感じるようになりました。

シラフの私が、その場に見えた

ある時から、私も自分のことを話すようになりました。

最初から、きれいに整理された話ができたわけではありません。

何を言いたいのか自分でも分からず、 途中で止まることもありました。

それでも、言葉にしているうちに、 自分が何を苦しいと感じていたのかが 少しずつ分かるようになりました。

酒を飲んでいないのに、言葉が出ていました。

酒を飲んでいないのに、 自分の気持ちを人へ伝えていました。

そして、話した後も私はその場所にいました。

シラフのままでも、ここにいてよいのかもしれない。

その時、私は初めて、 酒がなければ存在できないと思っていた自分が、 酒なしでも人の前に現れていることに気づきました。

言葉を話している自分が、その場に見えました。

それは、酒がくれた自由とは違いました。

酒のように急に気分を変えるものではありません。

うまく話せないままでも話せる。 惨めな気持ちも、そのまま置いていける。 分かってもらえない部分があっても、その場にいられる。

私にとっては、酒よりもずっと優しく、 自然な自由でした。

酒がいらなくなったのは、我慢が増えたからではない

酒を飲まないように耐え続けた結果、 酒がいらなくなったのではありません。

酒が代わりに行っていたことを、 少しずつ自分で行えるようになったからです。

自分の気持ちを知ること。 言葉にすること。 人に聞いてもらうこと。 苦しい時に、一人で閉じこもらないこと。

酒の代わりになる別の物質を見つけたのではありません。

酒なしではできないと思っていたことを、 人との関わりの中で学び直しました。

酒を我慢できるようになったというより、 酒に頼まなければならない仕事が減っていきました。

私にとって、自助会は 酒の代用品ではありませんでした。

自分の言葉を使ってよいこと、 人の中にいてよいこと、 一人で全部を処理しなくてよいことを知る場所でした。

それまで酒だけが開けてくれた扉を、 自分の手で少しずつ開けられるようになったのです。

あの頃の自分を、後悔してはいません

酒に人生の主導権を渡してしまったことを、 後から見れば愚かなことだと思う人もいるかもしれません。

けれども私は、当時の自分を強く後悔してはいません。

あの時は、気づきようがなかったと思うからです。

人は、自分自身のことをよく分かっているとは限りません。

それは知性や知識の問題ではありません。

失敗しなければ分からないことがあります。 人に言われなければ見えないこともあります。 一度離れてからでなければ、振り返れないこともあります。

私が唯一、愚かだったと思うことがあります。

自分のことは自分が一番よく分かり、 自分一人ですべて処理できると思っていたことです。

一人で考えている限り、 私は同じ説明を繰り返し、 同じ結論へ戻っていました。

人の話を聞き、 自分の話を人へ渡したことで、 初めて別の見方が生まれました。

いつも幸せになったわけではありません

酒をやめたことで、 私自身が別の人間になったわけではありません。

人が怖い時もあります。 孤独を感じる日もあります。 自分のことを惨めだと思うこともあります。

自由だからといって、 幸せであり続けられるわけでもありません。

それでも、以前とは違います。

苦しい時に、酒へ消してもらう以外の道があります。

言葉にしてよい場所があります。 一人では分からない時に、人の話を聞くことができます。

現実がつらくても、 現実の中を歩き直すことができます。

酒に夢を見せてもらわなくても、 自分の足で歩き直せる。 私にとって、酒からの自由とはそのことでした。

酒がくれた自由は、 私を一時的に不自由さから連れ出してくれました。

けれども最後には、 酒の許可がなければ何もできない自分を作りました。

人の中で知った自由は、 不器用なままの私をその場に残してくれました。

完成した人間になることも、 いつも前向きでいることも求めませんでした。

シラフのまま、今の自分として存在できる。

私には、その解放だけで十分でした。

自助会に興味を持った方へ

私も最初は、自助会が何をする場所なのか分かりませんでした。

すぐに安心できたわけでも、 人を信用できたわけでもありません。

自分のために用意された場所のように感じるまでには、 時間がかかりました。

それでも通う中で、 酒なしで話している自分、 人の話を聞いている自分、 苦しさを一人で抱えずに済んでいる自分が見えるようになりました。

今後は、私が初めて自助会へ行った時のことや、 何を話せばよいのか分からなかった時期、 私なりの通い方についても書いていこうと思います。

ここに書いたことは、私個人の経験です。 自助会の雰囲気や進め方は、場所によって異なる場合があります。

飲酒の中止や体調について不安がある場合は、 一人で判断せず、医療機関や地域の相談窓口へご相談ください。

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