アルコール依存の問題において、すべてを「諦める」ことは、決して人生の終わりを意味するものではありません。
むしろ、それは過去の自分と決別し、全く新しい人生を「再出発」させるための、不可欠な通過点となることがあります。< ご本人が「飲んでいた自分は死んだ」「生まれ直した」と表現するように、それは非常に大きな痛みを伴う自己変革のプロセスです。 この記事では、その「諦め」の先にある立ち直りの道のりと、そこで得られる新しい自分、そして人との繋がりの重要性について、ソースを基に丁寧に解説していきます。
「赤ん坊」からのスタート ― すべての能力を失ったと感じる時
過去の自分、つまりアルコールに依存していた自分と決別することは、これまで身につけていた生きる術(すべ)を手放すことでもあります。
ご本人の言葉によれば、それはまるで「生まれたての赤ん坊」のようになる感覚だったと言います。
お酒の力を借りて行っていた自己表現や感情の処理といった能力が失われ、社会の中で何もできない無力な存在になったと感じるのです。
言葉を話せるようになるまでに時間がかかるように、回復の初期段階では、能力が失われたことへの苦しさや不安が続くことがあります。
この「ゼロの状態」を受け入れることこそが、新しい自分を築いていくための第一歩となります。
回復を支える「自助会」という繋がり
アルコール依存からの回復は、決して孤独な作業ではありません。
特に、この「赤ん坊」のような無力な状態から立ち上がる際には、他者との繋がりが非常に重要な支えとなります。
その中心的な役割を担うのが「自助会」です。
自助会には、同じように過去の自分と「決別」し、新しい人生を歩もうとしている仲間たちが集まっています。
自分だけが特別な苦しみを抱えているわけではなく、「過去と決別することは、ここでは普通のことなのだ」と知ることができます。
この安心感が、回復への大きな力となり、孤立しがちな心を社会と再び繋ぎ止める場となるのです。
新しい自分を育てる ― 能力の「学び直し」
自助会のような安全な場所で人と繋がることを通じて、新しい自分を育てるプロセスが始まります。
それは、これまでお酒に頼らなければできなかったこと、例えば、自分の感情を適切に表現する方法や、他者と健全なコミュニケーションを取る方法などを、一つひとつ学び直していく作業です。
赤ん坊が言葉を覚えるように、時間はかかるかもしれませんが、人との関わりの中で、社会生活に必要な能力を再び身につけていくことができます。
これは、アルコール依存からの「回復」であると同時に、新しい自分を「構築」していく創造的なプロセスとも言えるでしょう。
過去が「死んだ者」になる時 ― 執着からの解放
このようにして新しい能力が身につき、新しい自分としての人生が確立されていくにつれて、過去の自分との向き合い方にも変化が訪れます。
かつては執着していた「アルコールに依存していた自分」の生き方が、客観的に「歪んでいた」と理解できるようになってきます。
それは、過去の自分を憎んだり、否定したりするというよりも、「愛着はあるけれど、もう使い切った古いもの」として、穏やかに手放していく感覚に近いかもしれません。
ご本人の言葉を借りれば、過去の自分が自分の中で「死んだ者」となり、完全に切り離すことができるようになります。
このとき、人は初めて過去の呪縛から解放され、真の意味で新しい人生を歩み始めることができるのです。
「諦める」ことから始まった道のりは、人との繋がりを経て、新しい自分を育てるという希望のプロセスへと続いていきます。

アルコール依存症当事者です。
2020年7月から断酒しています。
ASK公認依存症予防教育アドバイザー8期生

