部屋の片付けをしていると、ふと手が止まってしまうことはないでしょうか。
もう何年も使っていない品物なのに、「いつか使うかもしれない」「思い出があるから」と理由をつけ、結局元の場所に戻してしまう。多くの人が経験することだと思います。
この「捨てられない」という感覚。その奥深くには、単なる愛着や「もったいない」という気持ちだけでは説明できない、人間の根源的な心の働きが隠されています。
そして、その心の働きは、依存症からの回復における「過去を手放す」という、より大きく、より困難なテーマとも深く結びついているのです。
なぜ、私たちは「物語」を必要とするのか
私たちは、自分という存在を理解するために、無意識のうちに「自分史」という一つの物語を紡いで生きています。
幼少期の思い出、学生時代の成功や失敗、キャリア、人間関係。それら一つ一つの出来事を繋ぎ合わせ、「私はこういう人間だ」という、一貫性のあるストーリーを作り上げています。
その時、部屋にある古い品物や、かつての成功体験、あるいは忘れられない失敗の記憶は、その物語を支えるための「証拠品」として機能します。
モノや過去の栄光は、「自分はこういうストーリーを生きてきた」という、たった一つの物語を支えるための証拠品なのです。
私たちは、この個人的な歴史、つまり「自分史」を失うことをひどく恐れます。なぜなら、その物語がなければ、自分が何者であるか分からなくなってしまうかのような、漠然とした不安に襲われるからです。だからこそ、私たちは過去の「証拠品」に強く執着してしまうのです。
依存症という「重い一章」
この視点で依存症を捉え直すと、回復の難しさの本質が見えてきます。
依存の渦中にあった日々は、間違いなく苦しく、思い出したくない過去かもしれません。しかし、その苦しみすらも、その人の「自分史」を構成する、無視できない重要で、重い一章となっています。
皮肉なことに、その苦しい物語があるからこそ、「今の自分」が存在している。そう感じられるのです。
だから、アルコールを手放すということは、単に飲み物をやめるだけではありません。それは、自分の物語の重要な一章を、丸ごと否定するような感覚を伴います。その章に紐づく全ての人間関係や感情、そして「あの苦しみを乗り越えようと戦ってきた自分」というアイデンティティすら、手放さなければならないように感じられるのです。
それは、まるで自分の歴史に大きな空白が生まれるような、耐え難い恐怖かもしれません。
その恐怖が、私たちを過去という名の足枷で、現在に縛り付けます。
古い本を閉じ、新しいページを開く
では、どうすればこの重い物語から自由になれるのでしょうか。
それは、「物語を無理やり消し去ること」でも「物語の続きを必死に書き足すこと」でもないのかもしれません。
それは、ただ、「自分は、この物語そのものではない」と静かに気づくことです。
私たちは、自分の人生という本の登場人物であると同時に、その本の作者でもあります。
依存症という重い一章も、確かにあなたの本の一部です。しかし、それが本の全てではありません。ましてや、作者であるあなたの価値を決定づけるものでもありません。
本当の解放とは、その物語が自分自身ではないと気づき、いつでも新しいページを書き始められると知ることなのかもしれません。
「捨てる」とは、過去を記憶から消し去ることではありません。
ただ、古い物語の本を静かに閉じ、感謝と共に本棚にしまうこと。そして、まっさらなノートを開き、今日、この瞬間から始まる、全く新しい一章を書き始める、希望に満ちた行為なのです。

アルコール依存症当事者です。
2020年7月から断酒しています。
ASK公認依存症予防教育アドバイザー8期生