私は、酒をやめると決めれば、やめられると思っていました。
だから決意が揺らぐたびに、もっと固く決めなければならないと考えました。しかし、決意を強くするほど、飲んでしまった時の自己否定も大きくなりました。
断酒を決意した頃の私は、酒をやめられない理由を、自分の意志の弱さだと考えていました。
本気でやめたいと思えばやめられる。やめられないのは、まだ本気ではないからだ。
その考え方には、一見すると筋が通っています。
酒を飲むという行動を自分で選んでいるのなら、飲まないことも自分で選べるはずだからです。
しかし私の場合、その考えを信じ続けることが、かえって問題を見えにくくしていました。
- なぜ断酒を意志の問題だと考えていたのか
- 決意が、私の自信を守る役割も果たしていたこと
- 酒をやめる決意と、酒を必要とする気持ちが同時にあったこと
- 現在、決意をどのように捉えているか
「飲めるのだから、やめることもできる」と思っていた
私は酒を飲んでいた時、それを自分の選択だと思っていました。
自分が飲みたいから飲む。今日は飲むと決めたから飲む。酒が必要だから、自分の判断で使っている。
少なくとも、自分ではそのように理解していました。
酒を飲む行動が自分の管理下にあると考えていたため、やめることも同じように管理できると思っていました。
飲む力があるのだから、飲まない力もある。今はやめていないだけで、必要になればいつでもやめられる。
その考えを持っていれば、自分が酒に対して力を失っている可能性を考えずに済みました。
問題が深刻になっても、「まだ本気で決めていないだけだ」と考えれば、自分の力が失われたことにはなりません。
次こそ本気で決めればよい。今度こそ正しくやればよい。
私は決意を新しくすることで、自分にはまだ問題を解決する力があると確認していたのだと思います。
決意が失敗するたびに、自分を責めた
酒をやめることが意志だけで決まるなら、飲んでしまう理由も自分の意志にあることになります。
飲みたい気持ちが強かった。自分に甘かった。覚悟が足りなかった。決意が本物ではなかった。
私はそのように、自分の内面を評価しました。
すると、酒を飲んだことだけでなく、「やめられない自分」そのものが問題になります。
飲んでしまった後には、酒による問題に加えて、自分への失望が残りました。
決意によって酒を管理しようとするほど、管理できなかった時の私は、価値のない人間に見えました。
自分を責めれば、次はもっと真剣にやめられるような気もしました。
しかし、自分を痛めつけても、酒が果たしていた役割はなくなりませんでした。
不安を鈍らせること、人と話すこと、感情を処理すること、眠ること、現実から一時的に離れること。
それらを酒に任せたまま、決意だけで酒を取り上げようとしていました。
やめたい気持ちと、飲みたい気持ちは同時にあった
当時の私は、「酒をやめたいと思っている自分」と「酒を飲みたいと思っている自分」を、別々には考えていませんでした。
やめると決めたのだから、自分は完全にやめたいはずだと思っていました。
それなのに飲みたくなれば、自分の決意が嘘だったことになります。
しかし現在は、人の意志はそこまで単純なものではないと考えています。
酒による問題を終わらせたい気持ちはありました。
同時に、酒がなくなった後にどう生きればよいのか分からず、酒を失いたくない気持ちもありました。
酒をやめたい。しかし、酒なしで人と話せる気がしない。酒をやめたい。しかし、酒なしで感情を扱う方法を知らない。
この二つは、どちらか一方が嘘だったのではありません。
その矛盾を認めず、「本当にやめたいなら迷わないはずだ」と考えたことで、自分に起きていることが分からなくなっていました。
決意が揺らぐことは、最初の決意が偽物だったことを意味するとは限りません。
私の場合は、酒をやめることで失うものへの怖さが、それだけ大きかったのだと思います。
酒をやめることは、生活の一部を失うことだった
酒は、私の生活に後から付け加えられた小さな習慣ではありませんでした。
酒を中心にして、感情や人間関係、休息、時間の使い方を組み立てていました。
その酒をなくすことは、生活を支えていた方法をなくすことでもありました。
酒をやめれば健康になり、問題が減ると頭では分かっていても、酒のない生活は私にとって未知のものでした。
未知の生活へ進むことよりも、苦しくても慣れている飲酒生活へ戻る方が、安全に感じられることがありました。
私が戻っていたのは、酒がよいものだったからだけではなく、酒のある苦しさの方が、酒のない未知より分かりやすかったからです。
その怖さを無視して、「決意があれば進める」と考えても、現実の生活は変わりませんでした。
酒をやめる決意とは別に、酒がなくても生きられる生活を作る必要がありました。
本気で決めることより、自分一人で管理できないと認める方が難しかった
私にとって難しかったのは、「酒をやめる」と言うことではありませんでした。
自分の意志だけでは、酒を管理できないと認めることでした。
自分で解決できないと認めれば、人に助けを求めなければなりません。
自分の状態を他者に話し、自分のやり方以外の方法を受け入れる必要もあります。
それは、私が長く避けてきたことでした。
私は、問題を一人で処理できる人間でいたかったからです。
自分一人の力では管理できないと考えることは、最初は敗北のように感じられました。
しかし、それを認めたことで、同じ決意を一人で繰り返す以外の方法を使えるようになりました。
自助会へ行く。人の話を聞く。自分の状態を言葉にする。酒を必要とする状態になる前に、生活を確認する。
決意を強くするのではなく、決意だけに頼らなくて済む環境を作り始めました。
決意を捨てたのではなく、決意の役割を小さくした
現在の私は、決意には意味がないとは考えていません。
酒を飲まないと決めることは必要です。
しかし、その決意だけで将来のすべてを管理できるとは考えなくなりました。
どれほど真剣に決めても、疲れ、孤独、不安、怒り、生活の変化によって、自分の状態は揺れます。
その揺れを、最初の決意が弱かった証拠として扱うのではなく、今の自分に何が起きているのかを見る必要があります。
決意は、私の生活を一人で支える柱ではなくなりました。
人とのつながりや、毎日の行動、自分の状態を確認することと組み合わせて使うものになりました。
「本物の決意」を証明しなくてよくなった
以前の私は、酒をやめ続けることで、自分の決意が本物だったと証明しようとしていました。
飲まなければ、自分には意志がある。揺らげば、意志の弱い人間である。
現在は、断酒を自分の価値や意志の強さを証明する行為とは考えていません。
酒を飲まないことは、私が優れた人間である証明ではなく、自分が生活を続けるために必要な選択です。
本気で決意すれば酒をやめられると考え、揺らぐたびに決意と自分自身を疑っていました。
決意だけで酒を管理しようとせず、人や環境の力を借りながら、その日に必要な行動を選びます。
私にとって回復は、一度の大きな決意で未来を確定させることではありませんでした。
自分の意志が揺れることを前提にしながら、それでも酒を飲まずに済む方法を重ねることでした。
ここに書いたことは、私自身の飲酒と断酒の経験から考えたものです。断酒が続かない理由や、必要となる支援は人によって異なります。繰り返し飲酒してしまう場合や、安全に酒をやめることに不安がある場合は、医療機関や公的相談窓口などに相談することも大切です。

アルコール依存症当事者です。
2020年7月から断酒しています。
ASK公認依存症予防教育アドバイザー8期生


