依存症者は「終わらない日常」の夢を見る

依存症の考察

依存症の渦中にある人の生活は、傍から見れば、不規則で混沌としているように見えるかもしれません。
しかし、その内側では、驚くほど単調で、厳格な「規則性」が支配していることがあります。「飲んでは、寝て、また飲む」という、断続的な行動の、終わりなき反復です。

この一見すると無意味に見える繰り返しには、一体どのような意味があったのでしょうか。
それは、単なる習慣やだらしなさではなく、現実の痛みから逃れ、脆い自分を守るために無意識に編み出された、一種の生存戦略だったのかもしれません。


「別の時間軸」を生きる

私たちの時間は、通常、朝起きて、夜眠るというサイクルの中で、過去から未来へと直線的に進んでいきます。
しかし、依存症の「飲んでは寝る」という反復は、この一般的な時間の流れを無視し、自分だけの時間を作り出します。

それは、現実の悩みや責任、そして他者からの評価といった、予測不能な出来事が入り込む余地のない、完全にコントロールされた世界。
いわば、自分だけの「別の時間軸」を創造し、その中で生きるようなものです。

「飲んでは寝る」という単純な行動の反復は、現実の時間の流れから自らを切り離し、自分だけの安全で予測可能な「別の時間軸」を作り出すための、一種の儀式なのです。

その単調なリズムは、まるで心臓の鼓動のように、「自分はまだここに存在している」という感覚を、かろうじて与えてくれます。
変化もなければ、驚きもない。しかし、そこには、現実世界にはない、かりそめの「安全」があったのです。


反復が「守ろう」としていたもの

では、その反復行動は、具体的に何を「守ろう」としていたのでしょうか。
それは、おそらく、これ以上傷つきたくないと願う、あまりにも脆く、繊細な自己そのものだったのでしょう。

現実世界は、常に予期せぬ出来事や、他者とのコミュニケーションによって、私たちの心を揺さぶります。
その揺さぶりに耐える力が尽きてしまった時、人は自らの周りに壁を築き、外界からの刺激を遮断しようとします。「飲んでは寝る」の反復は、そのための最も強力で、効果的な手段となり得るのです。

自分だけの時間軸の中に閉じこもることで、誰にも評価されず、誰にも傷つけられない**「終わらない日常」**が完成します。

その「終わらない日常」は、外部からの脅威を遮断し、脆い自己を守るための要塞でした。しかし、どんな要塞も、内側から見れば、変化も成長もない、ただの牢獄に過ぎないのです。

安全を求めて作り出したはずの世界が、いつしか自分自身を縛り付け、社会や他者から、そして自分自身の成長の可能性からさえも、隔絶させてしまいます。


リズムを壊し、現実に戻る

依存症からの回復とは、この人工的に作られた、催眠術のようなリズムを、自らの意志で「壊す」ことから始まります。
それは、安全な要塞から、危険かもしれない現実の荒野へと、もう一度その一歩を踏み出す、非常に勇気のいる決断です。

しかし、その一歩を踏み出した時、人は再び、本当の時間の流れと繋がり直すことができます。
辛いことや苦しいこともあるかもしれません。しかし、そこには、単調な反復の中では決して味わうことのできなかった、人との温かい交流や、新しい自分を発見する喜びも待っています。

「終わらない日常」を終わらせること。それこそが、本当の意味で「新しい明日」を始めるための、唯一の方法なのです。

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