依存症からの回復の道を歩み始めると、多くの人がこのように願います。
「お酒を飲む前の、昔の自分に戻りたい」。
それは、失われた平穏な日常を取り戻したいと願う、切実で自然な心の叫びかもしれません。
しかし、回復の旅を深く進めていくと、その願い自体が、ある種の幻想であったことに気づかされることがあります。
回復とは、過去に「戻る」ことではない。
それは、古い自分を「捨てる」という、痛みを伴う決別から始まる、全く新しい旅なのです。
幻想の自分にしがみつく苦しみ
依存の渦中にいた頃、アルコールは単なる飲み物ではありませんでした。
仕事のストレスを乗り切るための鎧であり、人付き合いを円滑にするための潤滑油であり、どうしようもない孤独を慰めてくれる唯一の友でした。
いつしか、アルコールと自分は切り離せない存在、文字通り**「一心同体」**になっていたのです。
だからこそ、断酒は想像を絶する苦しみを伴います。
それは、自分自身と癒着していた部分が、バリバリと音を立てて剥がれていくような感覚かもしれません。
痛くて、苦しくて、まるで半身が奪われたかのような、激しい無力感に襲われる。
「これがないと、自分は自分でいられない」。
そう信じ込んでいたものを手放すことへの恐怖は、断酒を始めたばかりの人を何度も暗闇に引き戻そうとします。
なぜなら、失うものが、あまりにも自分自身と近すぎるからです。
「重荷」を下ろした先にあった、本当の自分
しかし、その激しい痛みの先に、ある不思議な感覚が訪れます。
半身を失ったはずなのに、なぜか、身体が軽い。
全てを失って空っぽになったはずなのに、なぜか、心が穏やかだ。
そして、気づくのです。
あれは、自分の一部などではなかったのだ、と。
ただ、ひたすらに重い鎧であり、人生という道なき道を進むのを困難にさせていた**「重荷」**に過ぎなかったのだ、と。
私たちは、重荷を背負っている状態が当たり前になりすぎて、その重さこそが自分なのだと勘違いしてしまうことがあります。
そして、その重荷を下ろした時、初めて知るのです。
これこそが、何にも縛られていない、「そもそもの自分の姿」だったのだ、ということを。
捨てたのは、自分ではなく「幻想」だった
回復とは、過去の自分から何かを「引く」作業ではありません。
それは、アルコールという重荷によって押し潰され、見えなくなっていた「本来の自分」を「取り戻す」作業です。
「捨てる」という行為がもたらす最大の逆説は、ここにあります。
私たちは、自分自身を失うことを恐れて、依存対象にしがみつく。
しかし、本当に捨て去るべきだったのは、自分自身ではなく、「それがないと生きていけない」という、頑なで、しかし脆い幻想の方でした。
その幻想を手放せた時、私たちは過去に戻るのではありません。
それまで知らなかったほど軽やかで、自由な、新しい自分として、未来へと歩き出すのです。

アルコール依存症当事者です。
2020年7月から断酒しています。
ASK公認依存症予防教育アドバイザー8期生