「一生飲まない」と考えないことで、今日を飲まずに過ごせた

回復のヒント

「一生、酒を飲まない」と考えると、私は今すぐ酒を飲みたくなりました。

一生という時間を想像した途端、酒のない人生全体を背負わされたように感じたからです。私にできたのは、遠い未来を決めることではなく、今日を飲まずに終えることでした。

断酒を始めた頃の私は、酒を飲まないことを最低限の責任だと考えていました。

酒によって周囲へ迷惑をかけたのだから、少なくとも飲まないことだけは守らなければならない。

その責任感は、断酒初期の私を支えてくれました。

しかし同時に、「これを一生続けなければならない」と考えると、先の長さに圧倒されました。

今日一日さえ苦しいのに、その苦しさがこの先もずっと続くように感じたからです。

この記事で振り返ること
  • なぜ「一生飲まない」という決意が重かったのか
  • 断酒初期を責任感と環境に支えられていたこと
  • 今日一日に区切ることで何が変わったのか
  • 我慢だった断酒が、自分の選択へ変わった経緯

一生飲まないと考えるほど、酒を失う怖さが大きくなった

酒をやめることは、私にとって飲み物を一つやめるだけの話ではありませんでした。

酒は、人と話すこと、不安を鈍らせること、感情を処理すること、眠ることなど、生活のさまざまな部分に入り込んでいました。

その酒を一生失うと考えると、これから先、自分はどうやって生きればよいのか分かりませんでした。

今日の苦しさだけでも十分に大きいのに、明日、来年、十年後まで酒なしで生きることを想像しようとしていました。

当然、その未来は空白にしか見えませんでした。

「一生飲まない」という決意は、酒をやめる覚悟というより、酒のない人生を今すぐ完成させる課題のように感じられました。

その課題に答えられない自分を見ると、私はまだ本気ではない、覚悟が足りないと思いました。

しかし実際には、未来のすべてが分からないことと、今日酒を飲むことは別の問題でした。

一生を決められなくても、今日飲まないという選択は残っていました。

断酒初期の私は、責任感と環境に守られていた

私が最初から、自分のために納得して酒をやめられたわけではありません。

入院生活や周囲の人の支えがあり、飲むことが難しい環境にいました。

援助してくれている人の期待を裏切ることも怖く感じていました。

私は、迷惑をかけた分を埋め合わせるためにも、酒を飲んではいけないと思っていました。

それは自分から進んで選んだ断酒というより、守らなければならない責任に近いものでした。

最初の私は、酒をやめたいから飲まなかったというより、飲んではいけないから飲まなかったのだと思います。

この外側からの支えが無意味だったわけではありません。

むしろ、私には一時的にでも酒から離れ、自分の状態を見るための環境が必要でした。

ただ、それだけで一生を支えることはできないとも感じていました。

周囲を裏切らないためだけに飲まないのであれば、断酒は我慢のままです。

いつかその我慢が破綻するのではないかという不安がありました。

今日一日に区切ると、考える範囲が現実に戻った

「今日一日、飲まない」という考え方を知った時、最初から深く納得できたわけではありません。

明日も飲まないつもりなのに、なぜ今日だけと言うのか。言葉を変えているだけではないかとも思いました。

しかし実際に使ってみると、一生断酒するという考えとは負担が違いました。

一生飲まないためには、将来起きるすべての問題へ対処できる自分を想像しなければなりません。

今日飲まないために必要なのは、今日の自分がどう過ごすかを考えることです。

食事をする。休む。人と話す。自助会へ行く。危ない場所へ近づかない。眠るところまで酒を飲まずに過ごす。

考える範囲が、手の届かない未来から、実際に行動できる一日へ戻りました。

今日一日に区切ることは、目標を小さくごまかすことではなく、今の自分が行動できる範囲へ戻すことでした。

明日について考えないという意味でもありません。

明日の生活を準備することはできます。しかし、明日の感情や苦しさまで今日の私が背負う必要はありませんでした。

「今日飲まなかった」は、自信より先に事実として残った

断酒初期の私は、自分に自信を持っていませんでした。

酒を管理できず、生活を崩し、人に迷惑をかけた自分を信頼することはできませんでした。

そのため、「私はこれからずっと飲まない」と自分へ言い聞かせても、その言葉を自分で信じられませんでした。

しかし、一日が終わった時に「今日は飲まなかった」という事実は残りました。

立派に過ごせたわけではなくても、気持ちが安定していなくても、その日は飲まずに終わっています。

私には、未来を保証する自信よりも、今日飲まなかったという事実の方が必要でした。

翌日になれば、また同じ一日が始まります。

前日に飲まなかったからといって、その日の苦しさがなくなるわけではありません。

それでも、過去の成功を使って未来を保証しようとせず、もう一度その日を過ごします。

一日ずつ区切ることで、飲まない日数が増えました。

ただ、私にとって重要だったのは日数そのものより、一日をどう過ごすかを考える習慣ができたことでした。

一日断酒だけでは、苦しさの理由はなくならなかった

今日一日だけを考える方法は、断酒初期の負担を小さくしてくれました。

しかし、一日断酒を繰り返すだけで、私の生きづらさが自然に解決したわけではありません。

酒を飲まないことで、今まで酒で隠していた感情や、人との関わり方の問題が見えてきました。

責任感だけで飲まない日を積み重ねても、心は苦しいままでした。

私は、酒を飲まない一日を過ごすことと同時に、その一日の中で自分の内面を扱う必要がありました。

自助会で人の話を聞く。自分の状態を言葉にする。できないことを認める。人の力を借りる。

そうした経験が加わることで、断酒は単なる我慢から少しずつ変わっていきました。

一日断酒は回復のすべてではありませんでしたが、回復に必要なことを今日試すための時間を与えてくれました。

飲まないことで空いた一日の中へ、酒以外の方法を少しずつ入れていきました。

それによって、翌日の一日が以前よりわずかに過ごしやすくなることがありました。

他者のための断酒から、自分のための断酒へ変わった

初期の私は、周囲に迷惑をかけないため、期待を裏切らないために酒をやめていました。

その動機は、一日を飲まずに過ごすために役立ちました。

しかし、他者のためだけに続ける断酒は、私にとって義務であり、我慢でした。

自助会へ通い、自分のことを話すようになると、少しずつ心が軽くなりました。

酒を飲まない生活が、家族や援助者のためだけではなく、自分の苦しさを減らすためのものでもあると感じるようになりました。

私には、実際には酒を飲まない以外の選択はありません。

それでも、「飲んではいけない」だけではなく、「今日は自分のために飲まない」と考えられるようになったことは、大きな変化でした。

義務として酒を我慢する状態から、自分の生活のために酒を選ばない状態へ、少しずつ変わっていきました。

酒を飲まないことが自由を奪うだけのものではなく、自分が別の生活を選ぶための行動になりました。

その変化は、一度の決意で起きたのではありません。

飲まない一日を過ごし、その中で人と関わり、自分の状態を知ることを繰り返すうちに生じました。

現在も、私が生きられるのは今日だけです

現在の私は、断酒を続けてきた期間を否定しているわけではありません。

過去の積み重ねは、自分の生活を支える経験になっています。

しかし、過去に何年飲まなかったとしても、今日の自分の状態を放置してよいことにはなりません。

また、この先も絶対に大丈夫だと未来を保証することもできません。

私が実際に選べるのは、いつも現在の行動だけです。

当時の私

一生飲まない覚悟を持てなければ、断酒する資格がないように感じていました。

現在の私

未来を完全に決めようとせず、今日の自分が飲まずに過ごすために必要なことを考えます。

一日断酒は、一生について考えることから逃げる方法ではありませんでした。

自分には管理できない未来と、今選べる行動を分けるための考え方でした。

明日の私が何を感じるかは、今日の私には分かりません。

それでも、今日の私は酒を飲まないための行動を選べます。

私にとって一日断酒とは、一生分の覚悟を毎日証明することではなく、今日の生活を酒に渡さないことです。

ここに書いたことは、私自身の断酒と回復の経験から考えたものです。一日ずつ考える方法が合うかどうかや、断酒に必要な支援は人によって異なります。酒をやめることに不安がある場合は、一人で抱えず、医療機関や公的相談窓口などへ相談することも大切です。

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