1日断酒が効果的な理由

回復のヒント

「今日一日、飲まない」

依存症からの回復を目指す世界で、古くから大切にされている標語です。

回復の道を歩む多くの人が、このシンプルな言葉を胸に、一日一日を積み重ねていきます。

しかし、不思議に思ったことはないでしょうか。

なぜ、「一生断酒します」という壮大な目標ではなく、こんなにもささやかな「一日」なのでしょうか。

その方が決意が弱く、脆いものに感じられるかもしれません。

しかし、この「一日断酒」という考え方には、特に依存という苦しみの中にいる心にとって、極めて効果的に作用する、深く巧みな知恵が隠されています。

今回は、その心理的な理由を紐解いていきたいと思います。


なぜ「一生」の決意は脆いのか

まず、依存の渦中にいる人にとって、「一生」という時間は、あまりにも遠く、現実感のないものです。

多くの場合、その日その日を乗り切ることで精一杯の生活を送っています。

「一生飲まない」という決意は、まるでエベレストの山頂をいきなり目指せと言われるようなもの。

そのあまりの壮大さに圧倒され、無力感に苛まれ、「どうせ無理だ」と最初から諦めてしまうことにもなりかねません。

「二度と飲まない」という固い決意は、裏を返せば「一度でも飲んだら全てが終わり」という、とてつもないプレッシャーを生み出します。

この重圧が、かえって心を不安定にさせ、決意を脆くしてしまう側面があるのです。


「今日だけ飲む」と「今日だけ飲まない」の不思議な共通点

実は、「一日だけ」という考え方は、依存症者にとって非常になじみ深いものです。

多くの依存症者は、飲み続けていた頃、毎日のようにこう考えていました。

「今日だけは飲もう。

明日から、きっとまともな人生に戻る」

これは、紛れもなく「一日飲酒」の決意です。

「明日からやめる」という、永遠に来ない未来に希望を託し、「今日だけ」という短期目標を毎日毎日、達成し続けてしまう。

その結果、依存の沼から抜け出せなくなります。

「一日断酒」は、この心に深く染みついた思考パターンを巧みに利用します。

構造は全く同じ。

「一日だけ」という、手の届く範囲の目標を設定する。

ただ、その中身を「飲む」から「飲まない」にそっと入れ替えるだけなのです。

全く新しい思考法を学ぶのではなく、使い慣れた思考のレールを行き先だけ変えて走り出す。

だからこそ、この方法は抵抗が少なく、実行しやすいと言われています。


未来からではなく、「今」から始める生き方

私たちは普段、「長期的な目標を立て、そのために今日できることを探す」という考え方をします。

しかし、「一日断酒」はその逆です。

「今できること(今日一日飲まない)を見つけ、それが結果として長期的な未来に繋がっていく」

この発想の転換が、心を劇的に軽くします。

考えるべきは、遠い未来のことではありません。

ただ、今日の、今の、この瞬間だけ、飲まない。

その一点に集中すればいいのです。

「今日は飲まない」と決めて一日を終える。

それは、どんなに小さくとも、確実な「成功体験」です。

昨日まで「一日飲む」ことに成功していた自分が、今日は「一日飲まない」ことに成功できた。

その小さな勝利の積み重ねが、失いかけていた自信を少しずつ取り戻させてくれます。


「一生」という壮大な決意が、未来から現在を縛り付けるトップダウンのアプローチだとすれば、「一日」という決意は、現在の小さな一歩が未来を築いていくボトムアップのアプローチです。

「今日は飲まない」「明日から飲む」と心の中で唱え続けると、いつだって「今日」であり、永遠に「明日」はやってきません。

それは、アキレスが亀に追いつけないパラドックスのようでもあります。

回復とは、超人的な意志の力で未来をねじ伏せることではないのかもしれません。

ただ、今日という一日を大切に生きる。

その静かで地道な繰り返しの先に、気づけば穏やかで自由な未来が広がっている。

それが、「一日断酒」というシンプルな言葉に込められた、希望のメッセージなのです。

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