「自分で何とかしなければ」が、私を酒へ追い込んだ

回復のヒント

私は責任を果たそうとしていたのではなく、すべてを自分の力で動かそうとしていたのかもしれません。

うまくいかないことが起きるたびに、自分の努力が足りないと考えました。その重圧から逃れるために、私は酒で考えることを止めていました。

飲んでいた頃の私は、「自分で何とかしなければ」という言葉をよく使っていました。

人に迷惑をかけないため、自分の役割を果たすため、生活を立て直すため。

自分で考え、自分で行動することは必要です。

しかし私の場合は、自分にできることを引き受けるだけではありませんでした。

自分では決められない結果や、他者の感情、過去に起きたことまで、自分の努力によって変えなければならないと思っていました。

変えられないものを変えようとし、変えられない自分を責め、その苦しさを酒で消そうとしました。

私の問題は責任感があったことではなく、自分に責任のない結果まで、自分が引き受けられると思っていたことでした。
この記事で振り返ること
  • 責任とコントロールを混同していたこと
  • 自分では変えられないことまで背負った理由
  • 酒が思考と責任感を止める役割を持ったこと
  • 断酒後も過剰な責任感が残っていたこと
  • 現在、責任の範囲をどう考えているか

責任を取ることは、結果を思い通りにすることだった

私は以前、責任を果たすとは、問題を望ましい結末へ持っていくことだと考えていました。

失敗したなら、元の状態に戻さなければならない。

誰かを困らせたなら、相手が納得するまで埋め合わせなければならない。

生活が崩れたなら、誰にも頼らず自分で立て直さなければならない。

それができなければ、責任を果たしていないと思いました。

しかし、現実には自分だけでは決められないことがあります。

どれほど謝っても、相手が許してくれるとは限りません。

努力しても、失った時間や関係が元通りになるとは限りません。

自分が正しく行動しても、周囲が自分の望む反応をするとは限りません。

私は、そのような自分では決められない結果まで、自分の責任だと考えていました。

自分ができる行動を引き受けることと、その行動の結果まで支配することを、私は同じだと思っていました。

結果が思い通りにならなければ、自分の努力が足りないと考えました。

さらに考え、さらに頑張り、それでも変わらなければ、もっと自分を責めました。

自分に力があると思いたかった

すべてを自分の責任として考える姿は、責任感があるようにも見えます。

しかし振り返ると、その奥には「自分なら何でも動かせるはずだ」という考えもありました。

自分が努力すれば、相手の考えを変えられる。

正しい方法を見つければ、問題を完全に解決できる。

自分がしっかりすれば、誰にも迷惑をかけずに生きられる。

そう信じることによって、私は自分の限界を見ないようにしていました。

私の中にあった前提

問題が解決しないのは、自分の力が及ばないからではなく、自分の努力や考え方がまだ足りないからだ。

自分に力がないと認めることは、私には恐ろしいことでした。

何もできない人間になるように感じたからです。

だから私は、できないことへさらに力を注ぎました。

それでも変わらない現実を見るたびに、自分の価値を低く感じました。

自分を責め続けた背景には、「本来なら自分には、すべてを何とかする力があるはずだ」という思いがありました。

責任の範囲が広がるほど、休むことができなくなった

自分が何とかしなければならないことが増えると、頭の中に終わりがなくなります。

あれも考えなければならない。

この問題も解決しなければならない。

あの人の気持ちも悪くしないようにしなければならない。

過去の失敗も取り戻さなければならない。

一つの問題へ対応している間にも、別の責任が浮かびました。

休もうとしても、「まだやるべきことがある」と考えました。

楽しんでいる時にも、自分だけが楽になってよいのかという罪悪感がありました。

できていないことが一つでも残っていれば、安心する資格がないように感じていました。

頭の中に積み重なっていたもの
役割
他者の期待
自己否定

外から見ると、私は何か大きな責任を背負っていたわけではなかったかもしれません。

しかし私の中では、普通に生活すること自体が、間違えてはいけない仕事のようになっていました。

酒は、考え続ける私を止めてくれた

酒を飲むと、頭の中で続いていた考えが一時的に止まりました。

あれもしなければならない、これも解決しなければならないという声が遠のきました。

素面の私は、常に何かへ責任を感じていました。

酔っている間だけは、考えられない自分になることができました。

何も決められず、何も対応できない状態になれば、その時間だけは責任を果たさなくて済みます。

私は酒によって楽しくなりたかっただけではなく、責任について考える主体であることを、一時的にやめたかったのだと思います。

「酔っているから考えられない」

「今は判断できない」

その状態に入れば、自分を責める声も一時的に小さくなりました。

酒は、私が自分に許せなかった休息を、強制的に作る方法になっていました。

素面では何もしないことを許せなかったため、私は酒を使って、何もできない状態を作っていました。

酒で責任から逃げると、さらに責任が増えた

酒を飲んでいる間は、責任から離れられたように感じました。

しかし、酒によって問題が解決されたわけではありません。

対応しなかったことは残り、約束を忘れ、生活や金銭の管理も難しくなりました。

説明できない行動が増えると、周囲へ嘘をつく必要も生まれました。

私が逃れようとしていた責任は、酒を飲むことでさらに増えていきました。

責任感と飲酒が続いた流れ
すべてを自分で背負う
重圧と自己否定が増える
酒で思考を止める
新しい問題と責任が増える

翌日になると、飲んだことや、できなかったことへの後悔が戻りました。

私は「今度こそ、もっと自分を管理しなければならない」と考えました。

そして、さらに責任を背負いました。

責任から逃れるために飲み、飲んだ責任を取るために自分を追い込み、その重圧から再び飲む。

私はその流れを繰り返していました。

問題を隠すことを、責任の取り方だと思っていた

私は、人へ問題を伝えることを無責任だと感じていました。

自分が作った問題なら、自分の中で処理しなければならない。

人へ話せば、その人へ負担を渡すことになる。

そのように考え、飲酒や生活の問題を隠しました。

表面上だけでも普通に見せることが、周囲へ迷惑をかけないための責任だと思っていました。

しかし問題を隠すと、周囲は正確な状況を知ることができません。

理由の分からない私の行動や変化に巻き込まれます。

私が一人で責任を取っているつもりでも、実際には周囲が見えない問題の影響を受けていました。

問題を隠して一人で苦しむことは、責任を果たすことではなく、対応する機会を周囲から奪うことでもありました。

私は自分が苦しむことで、責任を取ったような気持ちになっていました。

しかし、私が苦しんだからといって、相手の被害や不安が小さくなるわけではありません。

自分を罰することと、現実へ対応することは別でした。

酒をやめても、責任を背負う癖は残った

断酒を始めた後も、「自分で何とかしなければ」という考えは残りました。

酒を飲まないことによって、これまで周囲へ与えた迷惑を埋め合わせなければならないと思いました。

自助会へ行くことも、回復することも、失敗せずに生活することも、守るべき義務として考えました。

回復まで、自分の努力で正しく完成させようとしていたのだと思います。

少し気持ちが不安定になると、回復が足りないと考えました。

人に頼れば、自分の責任を放棄しているように感じました。

酒を使えなくなっただけで、酒を必要としていた生き方は残っていました。

酒をやめても、すべてを一人で背負うなら、私は酒の代わりに自分を追い込むことになります。

自助会で人の話を聞く中で、自分だけで回復を完成させなくてもよいと知りました。

調子が悪いことを話す人もいました。

分からないと話す人や、人の力を借りながら生活している人もいました。

その人たちは、責任を放棄しているようには見えませんでした。

自分の状態を隠さず、その時に必要な対応をしていました。

自分で決められることと、決められないことを分けた

私は少しずつ、責任を考える時に三つの範囲を分けるようになりました。

1 自分で選べること

酒を飲まない、状況を正直に伝える、謝る、必要な場所へ相談するなど、自分の行動として選べること。

2 人と相談すること

一人では判断できない問題について、事情を伝え、役割や対応を一緒に考えること。

3 自分では決められないこと

他者がどう感じるか、許すかどうか、過去が元に戻るかなど、自分の努力だけでは決められないこと。

この三つを分けても、簡単に気持ちを切り替えられるわけではありません。

相手に許してもらいたいと思いますし、過去をやり直したいと思うこともあります。

ただ、望んでいることと、自分が決められることは別です。

自分ができる対応をした後は、結果を相手や時間へ委ねなければならない場合があります。

責任を果たすとは、必ず望ましい結果を作ることではなく、自分にできる行動から逃げないことだと考えるようになりました。

「仕方がない」は、投げ出す言葉ではなかった

私は以前、「仕方がない」という言葉を、無責任な人が使う言葉だと思っていました。

仕方がないと言えば、努力をやめ、問題から逃げることになると感じていました。

しかし、できないことをできると言い張り続けても、現実は変わりません。

むしろ、自分にできないことへ力を使い続けることで、本当にできる対応を行えなくなります。

私にとって「仕方がない」は、何もしないための言葉ではありません。

自分には動かせない部分があると認め、自分が動かせる部分へ戻るための言葉です。

相手の気持ちは、私には決められない
過去は変えられないが、今日の行動は選べる
分からない時には、相談してよい
できないことを伝えるのも対応の一つ

自分にできないことがあると認めても、自分の責任がすべてなくなるわけではありません。

自分がしたことを認め、忘れず、必要な対応を続ける責任は残ります。

しかし、相手の感じ方や、失ったものが戻るかどうかまで、自分が管理することはできません。

自分を責めることと、責任を果たすことを分ける

飲んでいた頃の私は、自分を苦しめることが責任だと思っていました。

反省しているなら、楽になってはいけない。

人を傷つけたなら、自分も苦しみ続けなければならない。

そのように考えました。

しかし、自分を責め続けることによって、過去に起きたことが修復されるわけではありません。

自分を責めることに力を使い切ると、現在の生活で必要な対応も難しくなります。

私にできるのは、自分がしたことをなかったことにせず、分からない部分も含めて見続けることです。

そして、現在は酒を飲まず、同じことを繰り返さないために行動することです。

現在の私が考える責任

起きたことを隠さない。自分にできる対応をする。できないことは伝える。結果が思い通りにならなくても、酒によって再び問題を増やさない。

責任を果たすことは、自分を無期限に罰し続けることではありませんでした。

自分の行動を見ながら、今日できることを続けることでした。

すべてを背負わなくても、責任から逃げることにはならない

現在の私も、自分が何とかしなければならないと考えることがあります。

できないことを認める時には、申し訳なさや恥ずかしさを感じます。

人へ頼ることで、自分が怠けているように思うこともあります。

その感覚が完全になくなったわけではありません。

ただ、すべてを背負った結果、酒で何も考えられない状態を作っていたことを知っています。

責任感によって生活を守ろうとしながら、最後には生活を壊していました。

だから今は、背負えるかどうかではなく、実際に続けられるかどうかを考えます。

自分にできないことを人へ伝える。

一人では判断できない時に相談する。

相手の感情や結果を、自分が操作しようとしない。

それらも、私が生活を壊さずに責任を果たすための方法です。

私にとって責任を軽くすることは、責任から逃げることではありませんでした。自分が現実に引き受けられる大きさへ、責任を戻すことでした。

ここに書いたことは、私自身の飲酒と回復の経験から考えたものです。責任感があること自体が、飲酒問題の原因になるわけではありません。ただ、休むことや助けを求めることができず、酒によって思考を止めなければならない状態が続いている場合は、一人で抱えず、医療機関や公的相談窓口などへ相談することも大切です。

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