私は人が怖かったのに、人とのつながりを諦めきれませんでした。
傷つかないために人を遠ざけ、孤独が苦しくなると酒を飲みました。酒は、人から自分を守る壁を一時的に低くする道具でもありました。
飲んでいた頃の私は、人と関わることに大きな緊張を感じていました。
何を話せばよいのか分からない。変な人間だと思われるかもしれない。弱さを知られれば、軽く扱われるかもしれない。
そのような考えが、いつも頭のどこかにありました。
だから私は、人と深く関わらないようにしました。
自分のことを話さず、問題のない自分を見せ、相手が自分の内側へ入ってこないようにしました。
その方法によって、すぐに傷つくことは避けられました。
しかし同時に、誰にも分かってもらえない孤独も大きくなりました。
- なぜ人を必要としながら、人を遠ざけていたのか
- 心の壁が私を守っていたこと
- 酒が壁を一時的に低くしていたこと
- 酒による交流が、さらに孤立を深めたこと
- 壁を壊さず、扉を作るようになった経緯
人は、自分を評価し傷つける存在に見えていた
私は、周囲の人がいつも自分を攻撃しようとしていた、と言いたいわけではありません。
実際には、相手が私について何も考えていない場面も多かったと思います。
しかし当時の私は、人と接すると、相手の表情や言葉を細かく確認しました。
今の言葉で嫌われなかったか。
自分の失敗に気づかれなかったか。
相手が笑ったのは、自分を馬鹿にしたからではないか。
明確に批判されていなくても、自分の中で批判を予測していました。
相手と話しているというより、相手から自分を守るための準備をしていたのだと思います。
目の前の相手が何を考えているかより、「この人は自分を傷つけるかもしれない」という予測を見ていました。
その予測があるため、私は本音を話しませんでした。
本音を出さなければ、そこを否定されることもありません。
失敗や弱さを隠していれば、自分の一番傷つきやすい部分へ触れられずに済みます。
会話を楽しむより、失敗しないように監視する。相手を知るより、相手が自分をどう評価しているかを確認する。
心を閉じることには、必要な役割があった
私は以前、心を閉じている自分を、性格の悪い人間だと考えていました。
人を信用できない。素直になれない。親しくなろうとしない。
それを自分の欠点として見ていました。
しかし現在は、心を閉じることにも、それなりの理由があったと考えています。
人に自分を見せて傷ついた経験があれば、次に同じことが起きないように身を守ろうとします。
自分を出した時に喜ばれなかったり、理解してもらえなかったりすれば、出さない方が安全だと覚えます。
私は、人との関係を拒絶したかったというより、これ以上傷つかない方法を探していたのだと思います。
弱さ、失敗、恥ずかしい感情を人に触れられずに済ませ、自分が傷つく可能性を小さくすること。
困っていることを伝えること、自分を理解してもらうこと、人と一緒に問題へ向き合うこと。
心の壁は、私にとって間違ったものだけではありませんでした。
その時の私が、生活を続けるために身につけた方法でした。
ただ、その方法しか使えなくなったことが問題でした。
一人なら安全でしたが、一人のままでは苦しかった
人から離れていれば、会話で失敗することはありません。
自分の弱さを知られることも、拒絶されることもありません。
私は、一人でいる方が自分に合っていると思いました。
しかし、一人でいることによって、人を必要とする気持ちまでなくなったわけではありません。
誰かと話したい。
自分のことを分かってほしい。
自分も人の集まりの中に入りたい。
そのような気持ちは残っていました。
人へ近づけば傷つくかもしれない。人から離れれば孤独になる。
私は、その二つの間で動けなくなっていました。
人を嫌って一人になったのではなく、人を必要とする気持ちがあるからこそ、拒絶されることが怖かったのだと思います。
人をまったく必要としていなければ、人からどう思われるかを、これほど気にする必要はなかったはずです。
私の人への恐怖は、人への関心の裏側でもありました。
酒は、人との距離を一時的に縮めた
酒を飲むと、普段の私を守っている警戒が少し緩みました。
相手からどう見られているかを、素面の時ほど細かく考えなくなりました。
言葉が出やすくなり、人と同じ場所にいても、緊張を感じにくくなりました。
私には、酒によって人との距離が縮まったように感じられました。
酒があれば、自分の壁を自分の意志で下ろさなくても済みます。
自分を信じたり、相手を信じたりする前に、酒が警戒心を鈍らせてくれます。
言葉や表情を監視し、弱さを見せないようにして、人との距離を保っていた。
警戒が一時的に緩み、普段より人へ近づけたように感じた。
その意味で、酒は私を孤立から救った面もありました。
人と関わることができず、内側に閉じこもっていた私に、一時的な出口を作りました。
だから私は、酒を簡単には手放せませんでした。
酒をやめろと言われることは、人とつながるための唯一の方法を奪われることのように感じました。
壁を低くした後には、後悔が残った
酒によって人と話せても、その関係が安全になったわけではありません。
警戒が緩みすぎて、話すつもりのなかったことまで話す場合がありました。
感情を抑えられず、怒りや不満を大きく出すこともありました。
翌日になると、自分が何を話したのか、相手にどう見られたのかが気になりました。
恥ずかしさや後悔から、さらに人を避けました。
酒によって一度低くなった壁は、翌日には以前より高くなりました。
私は酒を使って壁を壊し、その結果に傷ついて、さらに壁を作っていました。
人を信用できないという考えも、飲酒後の失敗によって補強されました。
「やはり人へ自分を見せてはいけない」
そう考え、次に人へ近づくためには、また酒が必要になりました。
酒は、孤独を感じなくすることで孤独を維持した
人との関係に疲れると、私は一人で酒を飲みました。
酒を飲めば、誰かと一緒にいなくても、孤独を感じにくくなります。
人へ連絡したり、自分の状態を説明したりする必要もありません。
私は、一人でいることの苦しさを、酒によって一人で処理していました。
その方法を使えるため、孤独な生活そのものを変える必要がありませんでした。
酒は孤独を癒やしていたのではなく、孤独なままでも苦しさを感じずに済む時間を作っていました。
人に頼らなくても酒がある。
酒があれば、一人でも生きていける。
そう考えるほど、人との関係を作り直す機会は減りました。
そして人との関係が減るほど、酒は私にとって重要なものになりました。
酒をやめると、壁の内側に一人で残された
断酒を始めると、酒によって得ていた一時的な出口がなくなりました。
だからといって、すぐに人を信用できるようになったわけではありません。
人への怖さも、自分を隠す癖も残っていました。
酒をやめた私は、壁の内側に一人で残されたように感じました。
酒によって人へ近づく方法は失いましたが、素面で近づく方法を知りませんでした。
自助会へ参加した時も、周囲の人をすぐに仲間だと思えたわけではありません。
何を考えている人たちなのか。
自分の話をしたら、後でどう扱われるのか。
本当に信用してよいのか。
そのような疑いがありました。
人が弱さを話しても、関係が壊れない場面を見た
自助会で私が最初にしたことは、自分の壁を壊すことではありませんでした。
他の人が話す姿を、壁の内側から見ていました。
そこでは、人が酒による失敗や、恥ずかしいと思っていることを話していました。
私なら隠し続ける内容でした。
しかし、話した人は笑われず、その場所から追い出されませんでした。
話を途中で否定されたり、すぐに説教されたりすることもありませんでした。
私は、その様子を何度も見ました。
弱さを話しても、必ず攻撃されるわけではない。
失敗を知られても、人との関係がすべて終わるわけではない。
その経験が少しずつ積み重なりました。
「人は安全だ」と言われたから信じたのではありません。人が弱さを話しても関係が続く場面を、何度も見たことで信じ始めました。
最初から自分のすべてを話す必要はありませんでした。
人の話を聞き、自分と似た部分を見つけ、少しだけ自分のことを話しました。
その小さな経験によって、壁の外には攻撃する人しかいないという考えが変わっていきました。
壁を壊すのではなく、扉を作るようになった
現在の私は、心の壁をすべてなくす必要はないと考えています。
誰にでも自分の内面を見せる必要はありません。
人との間に距離を置くことが必要な場面もあります。
実際に、信用しない方がよい相手や、自分を傷つける関係もあります。
以前の私に必要だったのは、壁を全部壊して無防備になることではありませんでした。
相手や状況によって、開けたり閉めたりできる扉を作ることでした。
すぐに自分を話すのではなく、相手が人の弱さや失敗をどのように扱うかを見る。
「少し困っている」「今はうまく説明できない」など、扱える範囲だけを話してみる。
安全ではないと感じたら距離を戻し、信頼が育った相手には少しずつ話す範囲を広げる。
酒を飲んでいた頃の私は、壁を固く閉じるか、酒で一気に壊すかの二つしか知りませんでした。
現在は、その間にいくつもの選択肢があります。
話す量を選ぶ。今日は話さないと決める。後で話せる場所を確保する。相手との距離を調整する。
世界のすべてが安全になったわけではない
回復したからといって、他者がすべて信頼できる人に変わったわけではありません。
人と関われば、理解されないこともあります。
傷つくことや、期待を裏切られることもあります。
私自身も、相手を傷つけたり、うまく話せなかったりします。
ただ、世界のすべてを敵として扱わなくてもよいと考えられるようになりました。
安全な人もいれば、距離を置いた方がよい人もいます。
分かり合える時もあれば、分かり合えない時もあります。
その一つひとつを見ずに、最初からすべての人を危険だと決める必要はありませんでした。
目の前の相手は本当に自分を攻撃しているのか。それとも、過去の経験から、攻撃される前提で相手を見ているのか。
すぐに答えが出ないこともあります。
その時は、判断を急がず、距離を保つこともできます。
酒を使って無理に近づいたり、恐怖のまま完全に閉じたりしなくてもよくなりました。
酒に任せていた生き方を、少しずつ分け直した
私にとって飲酒は、単なる楽しみではありませんでした。
人への恐怖を鈍らせ、孤独を感じにくくし、自分の壁を一時的に下げる方法でした。
それによって、私は長い間生き延びてきたという感覚もあります。
だから、飲んでいた自分を「意志の弱い人間だった」とだけ考えることはできません。
当時の私には、それ以外の方法がほとんど見えていませんでした。
ただ、酒による方法は、使うほど人との関係を失い、自分の生活を壊しました。
そこで回復の中では、酒が一つで担っていた役割を、少しずつ分けていきました。
- 孤独については、安心して参加できる場所へ行く
- 人への恐怖については、相手と距離を取りながら確かめる
- 言葉にできない感情は、少しずつ話したり書いたりする
- 危険な関係では、心を開くより距離を取る
- 自分だけでは扱えない問題は、適した相談先へ渡す
酒を手放すことは、私を守ってきた方法を一度になくすことでもありました。
そのため、酒だけを取り除けばよいわけではありませんでした。
酒が代わりに行っていたことを知り、それぞれに別の方法を作る必要がありました。
ここに書いたことは、私自身の飲酒と回復の経験から考えたものです。人を怖いと感じる理由や、酒が果たす役割は人によって異なります。人間関係に強い恐怖があり、飲酒や日常生活に影響している場合は、一人で無理に心を開こうとせず、医療機関や公的相談窓口などへ相談することも大切です。

アルコール依存症当事者です。
2020年7月から断酒しています。
ASK公認依存症予防教育アドバイザー8期生


