【責任と重圧】「自分でどうにかしなければ」という思い込みが、私を酒に走らせていた

回復のヒント

こんにちは、康平です。

アルコール依存症から回復する過程で、私は「なぜ自分はあそこまで酒を必要としたのか」を問い続けてきました。

以前は、単に辛いことから逃げたい、楽になりたいという気持ちが原因だと思っていました。

しかし、さらに深く掘り下げていくと、ある一つの仮説にたどり着きました。

それは、飲酒とは、私が過剰に背負い込んだ責任感や、「すべて自分でどうにかしなければならない」という強烈な重圧から逃れるための緊急避難だったのではないか、ということです。

今回は、この「過剰な責任感」と「飲酒」の関係について、私の経験をもとに紐解いていきたいと思います。

コントロールできないことまで「自分のせい」にしていた

私が生きづらさを感じていた根本的な原因は、自分の力ではどうにもできない問題まで、自分の責任だと捉えていたことにあります。

例えば、他人の感情や社会の反応、あるいは自分自身の湧き上がるネガティブな感情など、本来はコントロール不可能なものに対しても、「自分がうまく対処すればどうにかなるはずだ」と考えていました。

これは一見、責任感が強いように見えますが、裏を返せば「自分にはそれらを動かす力がある」という、ある種の傲慢さや全能感の裏返しでもありました。

「力があるはずだ」と信じているからこそ、うまくいかない現実に直面したとき、「自分の努力が足りないからだ」「自分がダメだからだ」と、過剰な罪悪感や責任を感じてしまいます。

本来は不可抗力であることに対してまで責任を負おうとすれば、当然、心は押しつぶされます。

しかし、当時の私は「自分は無力である」という事実をどうしても認めることができませんでした。

無力を認めることは、自分の存在価値を否定することのように感じられ、恐怖だったからです。

思考を停止させ、責任を曖昧にするための飲酒

このように、自分のキャパシティを超えた責任を抱え込み、精神的に追い詰められた私が選んだ手段が、アルコールでした。

飲酒は、私にとって単なる快楽の追求ではありませんでした。

それは、肥大化した責任感と罪悪感によってパンクしそうな思考を、一時的に強制停止させるための手段でした。

お酒を飲み、酩酊状態になることで、私は「思考する主体」としての自分を一時的に消すことができました。

「酔っているから考えられない」「酔っているから仕方ない」という状態を作り出すことで、常に自分を責め立てる「責任」の所在を曖昧にしようとしたのです。

シラフの時は、「あれもしなければ」「これもしなければ」という重圧が常にのしかかっています。

しかし、飲酒によって意識を混濁させれば、その重圧から一時的に解放され、精神的な均衡を保つことができました。

つまり、私は「責任ある立派な人間」であろうとするあまりに自分を追い込み、その反動として「責任を取らなくていい状態(酩酊)」を渇望していたのです。

自分で自分を追い詰め、自分で自分を麻痺させる。

この「自作自演」の苦しみこそが、私の依存症の本質でした。

無力さを認め、不要な責任を手放す

では、どうすればこの苦しいサイクルから抜け出すことができるのでしょうか。

その答えは、お酒を我慢することではなく、そもそもの原因である「過剰な責任感」を手放すことにありました。

回復の過程で、私は「自分は無力である」という事実を受け入れていきました。

世の中には、自分の力ではどうにもならないことがたくさんあります。

他人の心も、過去の出来事も、未来の不安も、私の力ではコントロールできません。

「自分には力がない」と認めることは、敗北ではなく、背負う必要のない重荷を下ろす「解放」でした。

「自分でどうにかしなくていい」「責任を負わなくていい」と心から思えた時、私の中にあった「お酒で逃げなければならないほどの重圧」は消えていきました。

今の私は、できることとできないことを区別し、できないことは「仕方ない」と割り切って生きています。

それは無責任なことではなく、等身大の自分として生きるということです。

もし今、重圧に押しつぶされそうでお酒が手放せない方がいたら、一度立ち止まって考えてみてほしいのです。

あなたが背負っているその荷物は、本当にあなたが一人で背負わなければならないものなのでしょうか。

その手を離しても、世界は意外とそのまま回っていくのかもしれません。

不要な責任を手放すことで、逃げる必要のない穏やかな生活が待っています。

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