弱さを話したからといって、私は強い人間になったわけではありません。
変わったのは、自分の弱い部分を、自分全体の価値と同じものとして扱わなくなったことでした。
私は以前、自分の弱さを人へ話すことができませんでした。
できないこと、不安に感じていること、過去への後悔、人に知られたくない失敗。
それらを話せば、自分が弱い人間だと知られてしまいます。
一部分について話しただけでも、「この人間は全体として問題がある」と判断されるように感じていました。
だから私は、自分の内側を隠しました。
しかし、弱さを隠したからといって、自分の中から弱さがなくなったわけではありません。
誰にも見せられないものとして抱え続けるうちに、弱さと自分自身を分けられなくなりました。
- なぜ弱さを話すことが、自分の否定に感じられたのか
- 秘密にした弱さが、自分全体へ広がっていったこと
- 人の話を聞くことで、自分を表す言葉が見つかったこと
- 自分の声を聞くことで、自己否定を小さく分けられたこと
- 弱さをなくさず、手入れしながら生きるということ
弱い部分を知られたら、すべてを否定されると思った
私にとって弱さを話すことは、情報を一つ伝えることではありませんでした。
自分の存在そのものを、人の前へ差し出すことのように感じられました。
人と話すことが苦手だと知られたら、社会で生きられない人間だと思われる。
不安に耐えられないと話したら、頼りない人間だと思われる。
酒を管理できないと認めたら、意志のない人間だと思われる。
過去の失敗を話したら、現在の自分まで信用されなくなる。
私の中では、一つの弱さを知られることと、自分のすべてを否定されることがつながっていました。
人へ見せたくなかったのは、弱さの内容だけではありませんでした。その弱さを持っている自分そのものを、見せたくありませんでした。
そのため私は、困っていても平気なふりをしました。
分からなくても、自分で答えを出そうとしました。
人へ相談する前に、問題がない人間として振る舞いました。
私は弱さを隠すことで、人から拒絶される危険を避けていたのだと思います。
しかし、隠し続けるためには、本当の自分について話さない関係を続けなければなりませんでした。
秘密にすると、弱さは自分全体へ広がった
自分の弱さを誰にも話さないうちは、外から別の見方が入りません。
私は一人で考え続けました。
人とうまく話せない。
社会へ参加できない。
酒をやめられない。
問題を人へ知られないよう、嘘をついている。
それらが頭の中でつながり、最後には「自分は人間としてだめなのだ」という結論になりました。
本来は別々に考えられる問題でした。
会話への不安と、過去の失敗は別の問題です。
酒を管理できないことと、人間としての価値も同じではありません。
しかし、誰にも話さず頭の中だけで考えていると、それらは一つの大きな自己否定へまとまりました。
話せない、飲んでしまう、嘘をつく。そのすべてを合わせて、「自分全体がだめだ」と判断していました。
自分全体ではなく、「この部分で傷ついている」「この問題には助けが必要だ」と分けて考えられるようになりました。
秘密には、内容を実際より大きく見せる働きがあったのだと思います。
誰にも知られていないことは、自分だけが抱えている特別な問題に感じられます。
特別な問題を抱えている自分は、周囲の人とは違う人間に見えます。
その感覚が、私をさらに孤立させました。
酒は、弱さを話さずに済むための方法だった
人へ弱さを見せられない私にとって、酒は便利でした。
酒を飲めば、不安や寂しさを説明する必要がありません。
なぜ苦しいのか、自分でも分からないまま、感覚を鈍らせることができます。
人へ相談しなくても、その時間だけは自分の状態を変えられます。
素面では言えなかったことを、酔った勢いで話すこともありました。
しかし、酒が入った状態で言葉が出ても、それは自分の弱さを落ち着いて伝えることとは違いました。
話しすぎて後悔したり、感情が大きくなりすぎたりしました。
翌日には、再び自分を隠しました。
私は弱さを話す代わりに酒を飲み、酒を飲んだことで起きたことを、さらに話せない弱さとして抱えました。
そうして、誰にも話せないことが増えていきました。
酒を飲む理由も、酒によって起きた問題も、自分だけの秘密になります。
秘密が増えるほど人から離れ、人から離れるほど、酒の役割が大きくなりました。
人の話の中に、自分を表す言葉があった
自助会へ通い始めても、私はすぐに自分の弱さを話せたわけではありません。
何を話せばよいのか分かりませんでした。
自分が何に苦しんでいるのかも、十分には理解できていませんでした。
私はまず、周囲の人が話す内容を聞きました。
人が孤独について話していました。
人に頼れなかったことや、失敗を隠したこと、自分を責め続けていたことを話していました。
その中に、自分にも当てはまる話がありました。
自分では言葉にできなかったことを、別の人が言葉にしていました。
私は人の話を聞くことで、「自分にも同じようなことが起きていた」と、後から自分を知りました。
人の経験と、自分の経験は同じではありません。
育った環境も、飲み方も、起きた出来事も違います。
それでも、感情や考え方の一部に、自分と似たものがありました。
その似ている部分が、自分について話す時の手がかりになりました。
自分も寂しかったのかもしれない。自分も助けてほしかったのかもしれない。自分も弱さを知られることを怖がっていたのかもしれない。
私は、自分を理解してから人の話を聞いたのではありません。
人の話を聞くことで、自分の中に何があったのかを知り始めました。
飲酒と関係がないと思っていた話ほど、口から出なかった
自助会では、酒について話せばよいのだと思っていました。
どれだけ飲んだのか。
酒によって何が起きたのか。
どうすれば飲まずにいられるのか。
そうした話なら、飲酒問題と直接関係があります。
一方で、過去のことや、自分の劣等感、人間関係で感じていたことは、酒とは関係がないように思えました。
そのため、話す必要もないと考えていました。
しかし、酒をやめた後に苦しくなった時、以前なら酒で処理していたのは、その「関係がない」と考えていた部分でした。
過去への後悔。
人と比べて惨めに感じること。
誰にも知られたくない恥。
自分は社会の中で生きられないのではないかという恐怖。
それらを話さないままでは、酒を飲まずにいても、苦しみを自分の内側へ閉じ込め続けることになります。
ある時、その話を言葉にすると、途中から言葉が止まらなくなりました。
それまで話す必要がないと思っていたことが、実際には長い間、自分の内側を占めていたのだと思います。
話した瞬間にすべてが解決したわけではありません。
それでも、「自分はこのことで苦しんでいたのだ」と知ることができました。
自分の声を聞くと、苦しさを少し離して見られた
頭の中で考えている時、私の考えと自分自身は重なっていました。
「自分はだめだ」と考えると、それが事実のように感じられます。
「誰にも理解されない」と思うと、世界に自分を理解できる人はいないように見えます。
ところが、自分の考えを声にして話すと、その言葉を自分の耳でも聞くことになります。
自分の内側にあった考えが、一度外へ出ます。
すると、ごくわずかですが、自分と考えの間に距離が生まれました。
「自分はだめな人間だ」と感じていた状態から、「私はこの出来事によって、自分をだめだと感じている」という状態へ変わりました。
言葉にすれば、すべてを客観的に見られるわけではありません。
話している最中にも、自分を責めることがあります。
それでも、漠然とした自己否定を、出来事や感情へ少しずつ分けられるようになりました。
- 1 秘密にする
弱さを知られないようにし、自分の中だけで考える。
- 2 人の話を聞く
自分と似た感情や考え方を、他者の経験の中に見つける。
- 3 自分の言葉で話す
正確でなくても、現在分かるところまでを声に出す。
- 4 自分の声を聞く
頭の中の考えを外へ出し、出来事や感情を分けて見る。
- 5 必要な対応を考える
話す、休む、相談する、距離を取るなど、その部分に必要な方法を選ぶ。
弱さそのものが消えたのではなく、正体の分からない自己否定から、対応を考えられる問題へ変わりました。
話しても、受け入れてもらえるとは限らない
弱さは、誰にでも話せばよいものではありません。
相手によっては、軽く扱われることがあります。
話した内容を、本人の許可なく他の人へ伝える人もいます。
理解してほしいと思って話しても、思っていた反応が返ってこないこともあります。
私は、自分の内面をすべて公開することが回復だとは考えていません。
自分が扱える量と、相手との関係を確かめながら話す必要があります。
話さないという選択が必要な時もあります。
特に、話すことで自分や他者の安全が損なわれる場合は、相手や場所を慎重に選ぶ必要があります。
大切だったのは、何でも話す人になることではありませんでした。
誰にも話さないことだけを、自分を守る唯一の方法にしないことでした。
理解してもらうことだけを目的にすると、また苦しくなった
自分のことを話し始めた頃、私は相手に理解してもらうことを求めました。
ここまで正直に話したのだから、苦しさを分かってほしい。
自分を否定せず、受け入れてほしい。
その期待がありました。
しかし、他者が私の経験を完全に理解することはできません。
相手にも、自分の経験や考え方があります。
思っていた反応が返ってこないと、私は再び拒絶されたように感じました。
そこで少しずつ、話す目的を変えました。
完全に理解してもらうためではなく、自分の中に閉じ込めていたものを言葉にするために話す。
相手の反応だけではなく、自分が言えたこと、自分の声で聞けたことも大切にする。
話した価値を相手の反応だけで決めると、私は再び自分の価値を他者へ預けることになりました。
理解してもらえれば、もちろんうれしく感じます。
しかし、十分に理解されなかったとしても、自分が何を感じているのかを知ることはできます。
そして、その相手ではなく、別の場所へ話すこともできます。
弱さは、なくすものではなく手入れするものになった
私は以前、回復すれば弱さがなくなると思っていました。
人へ頼らず、自信を持ち、過去を気にせず、酒を飲みたいとも思わない人間になる。
そのような状態になれば、回復したと言えるような気がしました。
しかし現在も、惨めさや不安を持て余すことがあります。
自分一人で感情を扱うことが難しい時もあります。
人へ話すことを避け、問題を自分の中で解決しようとする考えも出てきます。
そのような部分がなくなったわけではありません。
違うのは、それを自分全体の失敗として扱わなくなったことです。
今は一人で抱え込み始めている。
今は人と比べて、自分を低く見ている。
今は疲れていて、自分の考えが狭くなっている。
そのように、現在の状態として見ることがあります。
この弱さを持っているから、自分全体に価値がないのではありません。この部分に、休息や会話、相談などの手入れが必要になっています。
弱さを話すことで、その弱さが長所へ変わったとは考えていません。
苦手なことは苦手なままです。
過去に起きたことも変わりません。
ただ、その弱さを秘密にし、自分全体を罰する必要はなくなりました。
人間らしくなったという感覚
自分のことを話すようになってから、私は以前より人間らしくなったように感じました。
それは、立派な人間になったという意味ではありません。
自分の内側にかけていた、不自然な力が少し減ったという感覚です。
恥ずかしい話題を避けるために、会話の進み方を常に警戒しなくてもよくなりました。
自分について尋ねられた時に、何を隠し、どこまで話せばよいかを、以前ほど必死に考えなくなりました。
心の中にあった地雷の一部が、どこにあるのか分かるようになったのだと思います。
地雷がすべてなくなったわけではありません。
ただ、何も知らずにおびえ続けるのではなく、避ける場所や、人へ助けを求める時期を考えられます。
弱さを話したことで、弱さがなくなったのではありません。弱さを隠すために使っていた力を、少し下ろせるようになりました。
私は、酒を使わなければ人と話せないと思っていました。
しかし、まとまっていない話や、恥ずかしい話でも、人へ聞いてもらえることを知りました。
生きづらさを抱えたままでも話せる。
弱さが残ったままでも、人との関係へ参加できる。
その経験によって、酒がなければ自分でいられないという考えが、少しずつ変わりました。
ここに書いたことは、私自身の飲酒と回復の経験から考えたものです。弱さを話すことが、いつでも安全で役立つとは限りません。話す相手や場所、話す範囲は慎重に選ぶ必要があります。つらい記憶や感情が大きく、話すことによって日常生活が不安定になる場合は、無理に一人で開示しようとせず、医療機関や公的相談窓口などへ相談してください。

アルコール依存症当事者です。
2020年7月から断酒しています。
ASK公認依存症予防教育アドバイザー8期生


