【助けてと言えない】自滅するまで抱え込む「不要なプライド」の手放し方

回復のヒント

こんにちは、康平です。

アルコール依存症になる前の私は、人に「助けて」と言うことが極端に苦手でした。

どんなに仕事が忙しくても、どんなに精神的に追い詰められていても、弱音を吐くことができませんでした。

その結果、一人で抱え込みすぎてパンクし、お酒に逃げるというパターンを繰り返していました。

今回は、なぜ私たちが限界まで我慢してしまうのか、そしてその苦しい「プライド」をどう手放せばいいのかについてお話しします。

問題:限界まで一人で抱え込み、自滅するか逃亡する

私が抱えていた最大の問題は、トラブルや苦しみを誰にも相談せず、限界が来るまで一人で抱え込んでしまうことでした。

「まだ大丈夫」「自分でなんとかできる」と自分に言い聞かせているうちに、状況は悪化していきます。

そして、いよいよどうにもならなくなった時、私が選ぶ手段は「自滅」か「逃亡」のどちらかでした。

過労で倒れるか、連絡を絶って引きこもるか、あるいはアルコールで意識を飛ばして現実から消えようとするか。

もっと早い段階で誰かに相談していれば、そこまで追い詰められることはなかったはずです。

しかし、当時の私には「相談する」という選択肢がどうしても選べませんでした。

原因:「弱みを見せるのは恥」という不要なプライド

なぜ、そこまで頑なに人を頼れなかったのでしょうか。

その原因は、「弱みを見せることは恥である」「人に頼ることは能力の欠如である」という、不要なプライドにありました。

私は、「優秀な人間とは、何でも一人で完結できる人のことだ」と思い込んでいました。

だから、人に助けを求めることは「私には能力がありません」と宣言するようなものであり、自分の価値を下げる行為だと感じていたのです。

また、相手に拒絶されたり、失望されたりすることへの恐れもありました。

このプライドが邪魔をして、苦しい時ほど虚勢を張り、「大丈夫なふり」を続けてしまったのです。

自分を守るためのプライドが、結果として自分を孤独にし、追い詰めていく原因となっていました。

解決策:援助要請は「能力」であり「信頼」だと認識を変える

回復の過程で、私はこの考え方を大きく変える必要がありました。

自助グループなどで、互いに助け合う経験を通じて学んだのは、「援助を求めることは恥ではない」ということです。

むしろ、「適切なタイミングで援助を求めることは、問題解決能力の一つである」と認識を改めました。

自分一人のリソース(時間や体力)には限りがあります。

他者の力を借りてでも、問題を確実に解決することの方が、結果として責任を果たしていることになります。

また、「人に頼ることは、相手を信頼している証である」という視点も重要でした。

相談することは相手に迷惑をかけることではなく、信頼関係を築くきっかけにもなり得ると気づいたのです。

結果:早期にサポートを得て、問題が深刻化する前に対処できる

「助けて」と言えないプライドを手放したことで、私の生き方は大きく変わりました。

何か困ったことがあった時、限界まで我慢するのではなく、早い段階で「ちょっと困っている」「手伝ってほしい」と言えるようになりました。

その結果、問題が小さいうちに周囲のサポートを得て対処できるようになりました。

一人で抱え込んで自滅したり、プレッシャーから逃れるためにお酒を飲んだりする必要がなくなったのです。

「助けて」の一言は、敗北宣言ではありません。

それは、自分を大切にし、生活を破綻させないための、賢明な選択です。

もし今、一人で苦しんでいる方がいたら、そのプライドを少しだけ横に置いて、誰かに声をかけてみてください。

その勇気が、あなたを最悪の事態から守ってくれるはずです。

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