心の痛みを酒で消そうとしていた私|感情を言葉にするまで

回復のヒント

私は、心の痛みを解決するためではなく、感じなくするために酒を飲んでいました。

何が悲しいのか、何に怒っているのかも、よく分かっていませんでした。ただ、何かが苦しく、その苦しさから一時的に離れるために酒が必要でした。

飲んでいた頃の私は、自分の中にある感情を細かく区別できませんでした。

不安、怒り、寂しさ、恥、後悔、将来への恐怖。

それぞれ別の感情であるはずなのに、私の中では一つの大きな苦しさとして混ざっていました。

その苦しさが高まると、私は酒を飲みました。

酒が入れば、何を感じているのか考えなくて済みます。

痛みがなくなったわけではありませんが、しばらくの間、痛みを感じる自分から離れることができました。

私にとって酒は、心の痛みを治すものではなく、痛みを感じる時間を先へ延ばすものでした。
この記事で振り返ること
  • なぜ自分の感情が分からなかったのか
  • 酒が感情に対して果たしていた役割
  • 断酒後に感情が一度に戻ってきたこと
  • 感情を少しずつ言葉にするようになった経緯
  • 痛みを消さずに生活するということ

何がつらいのか分からないまま、苦しさだけがあった

私は、自分が何に苦しんでいるのかを、うまく説明できませんでした。

自分の生活に問題があることは分かっていました。

人と話せないこと、将来が見えないこと、思うように社会へ参加できないこと、自分に自信を持てないこと。

しかし、それらを一つずつ考えるだけの余裕がありませんでした。

私の中では、さまざまな問題と感情が絡まり、「自分の人生全体がつらい」という状態になっていました。

原因が一つではないため、どこから手をつければよいのかも分かりません。

自分に何が必要なのか分からないまま、とにかく今の状態を変えたいと思いました。

私は「悲しいから酒を飲む」と考えていたのではなく、何か分からない苦しさを酒でまとめて処理していました。

酒を飲めば、複雑な感情を理解する必要がありません。

何に怒っているのか、誰に何を伝えたいのか、何を諦めてきたのかを考えずに済みます。

感情を理解するより、感覚そのものを鈍らせる方が簡単でした。

私は、感情を持つこと自体を許していなかった

感情を言葉にできなかった理由は、言葉を知らなかったことだけではありません。

私は、自分の中にある一部の感情を「持ってはいけないもの」と考えていました。

特に怒りについては、表現してはいけないという感覚がありました。

怒れば、相手を傷つける。

不満を言えば、わがままな人間になる。

嫌だと言えば、周囲から見放される。

そのように考え、怒りが生じても、怒っていないことにしようとしました。

私の中にあった決まり

怒ってはいけない。弱音を吐いてはいけない。人に迷惑をかけてはいけない。つらくても、自分の中で処理しなければならない。

しかし、感情を認めなかったからといって、その感情がなくなるわけではありません。

怒りは内側に残り、次第に圧縮されていきました。

私は怒りを表現できないだけでなく、怒りが存在すること自体を見ないようにしていたのだと思います。

感情を抑えていたというより、感情を持っている自分を、自分の中から追い出そうとしていました。

酒が入ると、押し込めていた感情が表へ出た

素面の私は、自分の言動を細かく管理していました。

何を言えば相手にどう思われるか、怒りを見せてはいけない、弱い自分を知られてはいけない。

そのような規制が常に働いていました。

酒を飲むと、その規制が緩みました。

普段は押し込めていた怒りや不満が、急に大きく表へ出ることがありました。

酒によって別の感情が作られたというより、すでに内側にあった感情が、抑えきれなくなって現れたのだと思います。

素面では感情を持つことを許さず、酔った時だけ感情を持つ自分を許していました。

酔っている間は、「酒のせい」にできます。

素面の自分が怒ったのではない。酒が入っていたから仕方がない。

そのように考えることで、感情を出した責任から一時的に離れることもできました。

しかし翌日になると、言ってしまったことや、してしまったことへの後悔が残ります。

後悔によって自分をさらに嫌いになり、その苦しさを再び酒で鈍らせました。

痛みを酒で処理していた流れ
感情が生じる
感じてはいけないと抑える
酒で麻痺させる
後悔と新しい痛みが残る

私は酒によって痛みから逃げながら、同時に新しい痛みも作っていました。

それでも、その時の私には、ほかの方法が分かりませんでした。

酒が切れるたび、感情は形を変えて戻ってきた

酒を飲んでいる間、感情の動きは小さくなりました。

しかし、感情そのものが処理されたわけではありません。

酒が切れると、不安や後悔が戻ってきました。

さらに、飲んでしまったという罪悪感や、隠し事をしている苦しさが加わりました。

最初に感じていた痛みが何だったのか分からなくなるほど、新しい苦しさが積み重なりました。

その結果、私は以前よりも多くの酒を必要としました。

酒で痛みを消していたのではなく、痛みを後回しにし、その上へ別の痛みを積み重ねていました。

痛みが大きくなるほど、それを直視することは難しくなります。

今さらすべてを見ることはできない。

感情に向き合えば、自分は壊れてしまうのではないか。

その恐怖によって、私はさらに酒へ戻りました。

断酒後、感情が一度に戻ってきた

酒をやめれば、頭がすっきりし、心も安定すると思っていました。

しかし実際には、それまで酒で遠ざけていた感情が一度に戻ってきたように感じました。

過去への後悔、将来への不安、自分への嫌悪、人との関係で感じていた怒りや寂しさ。

私には、それらを一つずつ扱うだけの体力がありませんでした。

何かを考えようとしても、頭が動きません。

それでも感情は湧いてきます。

自分の心がフリーズしているような状態でした。

酒をやめたことで感情が生まれたのではありません。それまで止めていたものが、動き始めたのだと思います。

この時期に「自分の感情と向き合わなければならない」と考えても、私は何をすればよいか分かりませんでした。

長い間避けてきた感情を、一度に理解することはできません。

酒をやめた直後の私に必要だったのは、すべての感情を整理することではなく、感情に圧倒されながらも、酒を飲まずにいられる場所でした。

人の話が、止まっていた心を少し動かした

自助会へ通っても、最初から自分の気持ちを話せたわけではありません。

私は、他の人が自分の失敗や苦しさを話している姿を見ていました。

私なら隠したいと思うようなことを、周囲の人は自分の言葉で話していました。

初めは、自分にはできないと思いました。

しかし、人の語りを何度も聞くうちに、心のどこかが反応しました。

この人がこれほどのことを話してよいのなら、自分の感情も少しくらい外へ出してよいのではないか。

そう思える瞬間がありました。

私は自分の感情を理解してから話したのではなく、人の話を聞いたことで、自分にも感情があると気づき始めました。

最初に話した言葉が、正確だったかどうかは分かりません。

うまくまとまってもいませんでした。

それでも、自分の声で話すことで、止まっていた心が少し動きました。

誰かの語りが、フリーズしていた心へ行う心臓マッサージのように感じられたこともあります。

感情を一度に理解しようとしなくなった

自分の感情を話し始めたからといって、すべてがすぐに分かったわけではありません。

「つらい」としか言えない時もありました。

怒っていると思っていたら、その奥には寂しさがあったこともあります。

自分を責めていたつもりが、本当は誰かに分かってほしかったこともありました。

感情は、一つの正解へ整理できるものではありませんでした。

そこで私は、すべてを理解するより、今分かるところまでを言葉にするようになりました。

1 存在を認める

「何か分からないけれど苦しい」「今、心が動いている」と、感情があることだけを認める。

2 近い言葉を置く

怒り、不安、寂しさ、悔しさなど、完全に正確でなくても、近いと思う言葉を一つ置いてみる。

3 必要なことを考える

話を聞いてほしいのか、休みたいのか、距離を取りたいのか、現在の自分に必要な対応を考える。

感情へ正しい名前をつけることが目的ではありません。

分からないまま酒で消すのではなく、分からない状態のまま少し立ち止まることが目的でした。

立ち止まっている間に、酒以外の選択肢が見えることがあります。

話せば必ず楽になるわけではなかった

自分の感情を言葉にすれば、いつでもすぐに楽になるわけではありません。

話したことで、忘れていた痛みがはっきりすることもあります。

相手に十分理解してもらえず、かえって寂しくなることもあります。

話す相手や場所を間違えれば、傷つく可能性もあります。

そのため私は、「話すことだけが唯一の方法」とは考えていません。

休むこと、書くこと、距離を取ること、医療機関へ相談することなど、必要な方法は状況によって違います。

私にとって話すことは、痛みを消す方法ではなく、痛みを一人だけの秘密にしないための方法でした。

言葉にしても、出来事そのものは変わりません。

過去が取り消されるわけでも、相手との関係が必ず修復されるわけでもありません。

それでも、自分が何を感じているのかを少し知ることで、酒以外の対応を選びやすくなりました。

感情は、解決すべき問題ではなくなった

以前の私は、嫌な感情が生じると、すぐになくさなければならないと思っていました。

怒りも、不安も、寂しさも、自分の生活を妨げる不要なものだと考えていました。

だから、酒で消そうとしました。

現在は、感情があることと、その感情のまま行動することを分けて考えています。

怒りがあっても、相手を傷つける必要はありません。

不安があっても、すぐにすべてを解決する必要はありません。

寂しくても、そのことを恥じる必要はありません。

現在の受け止め方

感情は、自分の中で何かが起きていることを知らせるものです。従う必要も、追い出す必要もなく、まず存在を確かめることができます。

感情を認めることは、その感情を正しいと判断することではありません。

「自分は今、怒っている」と認めても、相手が悪いと確定するわけではありません。

ただ、自分の中に怒りが存在することを無視しないということです。

感情を持たない人になるのではなく、感情を酒へ渡さず、自分の中に置いておけるようになることが必要でした。

痛みが消えなくても、酒を使わずに持てるようになった

私の中から、過去への後悔や寂しさがすべて消えたわけではありません。

思い出せば苦しくなることもあります。

自分のしたことを、簡単に許せない時もあります。

それでも、その痛みを感じた瞬間に、酒で自分を麻痺させる必要はなくなりました。

今は言葉にできないと伝えることもできます。

少し休み、後から考えることもできます。

一人では抱えきれない時には、誰かに話すこともできます。

痛みを完全に手放したというより、痛みの持ち方が変わりました。

回復によって痛みがなくなったのではありません。痛みを感じても、自分を失わずにいられる時間が増えました。

酒を飲んでいた頃の私は、感情に圧倒されるか、感情を麻痺させるかの二つしか知りませんでした。

現在は、その間に多くの選択肢があります。

感情へ名前を置くこと、話すこと、書くこと、休むこと、誰かの話を聞くこと、専門的な支援を利用すること。

その選択肢が増えたことで、酒だけに感情を任せなくて済むようになりました。

私にとって心の痛みと向き合うことは、痛みに耐え続けることではありませんでした。痛みを小さく分け、酒以外の方法へ少しずつ渡していくことでした。

ここに書いたことは、私自身の飲酒と回復の経験から考えたものです。感情の扱い方や、安心して話せる方法は人によって異なります。つらい記憶や感情が強く、日常生活に支障が出ている場合は、無理に一人で直視しようとせず、医療機関や公的相談窓口などの支援を利用することも大切です。また、飲酒を急に中止することに不安がある場合は、自己判断だけで進めず、医療機関へ相談してください。

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